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新緑の奈良が好き!!!雨間近…
2017年GWは連日のまださんとタンデムポタ〜
古墳と環濠と街道〜前の日コースを継承して!
佐吉狛犬・旧村・神社・資料館、色んな出会いが!

上街道・柳本(黒塚古墳資料館) 15


前日の天理循環コースは信仰が〜今回も引き続き山裾を!
前日は五月晴れ、本日天気が崩れ出しました〜
6輪ポタ…浮ドンもねずみ君・カモさんも休みやし〜

だからいつもの神社と路地探し。。。
相棒自転車は久々のプー太君+ブロ君!
今年の目標はフルサイズだったのに…

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成29年05月06日
                                           UP日:平成29年07月29日

JR桜井線柳本駅
この西側に海軍柳本飛行場が戦時中は
在ったんですと…
後で調べると新泉から竹之内まで中街道から上街道まで
広い範囲だったんですね。

※景行天皇陵・崇神天皇陵
古墳群〜
 
駅前には観光地図

※長岳寺さんの看板も…

東に駅前通り

※大和神社へも〜

大阪皇陵巡拝会銘
前には

※頭部の割れた地蔵様
天災地変殉難横死三界

崇神天皇(3〜4世紀)の頃の名石にして往昔仏教盛んなりし時代の物。
地蔵尊と南無阿弥陀仏と刻み安置してあり
後年、佛教の衰微期に何者かに川に遺棄され
当駅の南方高木川付近の堰石となり至りしに
当地者線路に於いて轢死者多く人皆首無し地蔵尊の祟ならんと申し伝えたり。
(看板より抜粋)




黒塚古墳発掘公開時には
駅前から人が500m程並んだとか…

※商店街の名残は?

仕出し屋さんでしょうか?
紅屋さん


土蔵も〜

当てないでね!



片袖壁



散髪屋さん

※見返って〜

タイル張った卯建壁



柳本村道路元標

※この辺りが
村の中心地ですか?

この辺りが代官屋敷跡

※奈良県天理市、JR桜井線の柳本駅近くにある黒塚古墳から、
柳本小学校にかけて、中世の柳本(やなぎもと)城、
江戸時代の織田信長の弟・有楽斎子孫が幕末まで統治した、
柳本藩の拠点・柳本陣屋があった。

 
城下町の名残



辺りをブラリト〜

※黒塚古墳(くろつかこふん/くろづかこふん)は、
奈良県天理市柳本町にある前期(3世紀末頃)前方後円墳。
33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名。
本古墳は、奈良盆地の東南部に位置する大和古墳群に属し、
台地の縁辺部に立地している。
最初に発掘調査が行われたのは1961年(昭和36年)の事前調査であり、
後世に城郭として利用されたことがこの時分かった。
また、1989年(平成元年)、周囲の池の護岸工事の事前調査が行われている。
1997年(平成9年)から翌年にかけて学術調査が
奈良県立橿原考古学研究所によって行われ、規模と墳形が明らかになった。
古墳の石室は、通常は天井石で天井部を塞ぐことが多く、
合掌造状の天井は珍しいが、この方法は地震に弱く、
中世に起きたと思われる地震で天井部分が石室内に崩落し、
その後の大規模な盗掘も大量の石材に阻まれ大部分は断念した痕跡があった。
つまり地震が盗掘者から副葬品を守ったことになる。
戦国時代には古墳に柳本城を築城、江戸時代織田家が城跡に
柳本陣屋を構築し柳本藩藩庁とした。
そのため、近世になってからは庶民は黒塚古墳には立ち入れなかったため、
その後の盗掘も防いだことになる。
(Wikipediaより)


立派な屋門

※古墳と代官屋敷
昔から裕福な土地柄だった?

北側見たら城郭の有った黒塚古墳

※南側は代官屋敷跡
歴史の狭間で〜

私的には
どちらも大好きで〜



向こうに小学校校舎

※立派な屋門
屋根がやばそう…

一本一得!

※柳本小学校

柳本藩邸



柳本公園
脇に黒塚古墳展示館

※陵墓碑

昭和5年銘

崇神天皇陵

※御陵餅本舗さん
昼御飯に甘味を〜
駅前通りにも店舗が無い…

美味しそう〜

※R169
店が他に見えない…

天理市立黒塚古墳展示館
石を積み重ねた古墳内を再現されてました。
赤いのは朱(水銀)ですね。



三角縁銘帯四神四獣鏡
三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう、さんかくぶちしんじゅうきょう)は、
銅鏡の形式の一種で、縁部の断面形状が三角形状となった大型神獣鏡。
日本の古墳時代前期の古墳から多く発掘され、既に540面以上も検出されている。
面径は平均20センチ程度。鏡背に神獣(神像と霊獣)が鋳出され、
中国、魏の年号を銘文中に含むものも多くある。
なぜ、三角縁とするかの理由については、ほとんどが凸面鏡であり、
三角縁にすると構造上作りやすいから、あるいは、
神聖な場所を囲む瑞垣をまねた等の説がある。
中国では2世紀 - 3世紀の時代に、紹興近辺でしか出土しない。
三角縁神獣鏡があらわれる前の3世紀前葉には、
神獣鏡類の画文帯神獣鏡と呼ばれる中国鏡が、約60面出土している。
その分布の中心は北部九州ではなく畿内地域である。
なお、三角縁神獣鏡の画像は、画文帯神獣鏡の画像を巧妙に変更して創り上げている。
(Wikipediaより)







まださんが
奈良を気にしだしたTVドラマとか…

※元TVマンのボランティアガイドさん
桑原征平さんとも関係者とか…

資料館脇の多宝塔石材

※石棺材料

平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も22年…今年こそエエ年に!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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