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北別所公民館 ※住宅地なんですが〜 |
あの森は? ※煙抜き付家屋 |
行燈山古墳倍塚ですね。 ※用水池 たこ焼きの幟も〜 買いましたがね。。。 |
天満宮燈籠 ※山の辺の道探訪物語 |
左 釜口大師 長岳寺(ちょうがくじ)は奈良県天理市柳本町にある高野山真言宗の寺院。 山号は釜の口山(かまのくちさん)、 本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は空海(弘法大師)とされる。 関西花の寺二十五霊場第19番札所。 日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置している。 釜口大師の名で親しまれている。 天長元年(824年)に淳和天皇の勅願により空海(弘法大師)が 大和神社の神宮寺として創建したという。 盛時には48もの塔頭が建ち並んでいた。 (Wikipediaより) |
買いました〜! |
柳本古墳群(やなぎもとこふんぐん)は、天理市柳本町に所在する古墳時代前期の古墳群である。 大和古墳群と併せて大和・柳本古墳群とも言われる。その南に纏向古墳群が存在する。 本古墳群は、大和古墳群と谷を隔てて南の丘陵の縁辺に営まれており、 2基の巨大古墳とその周囲の中・小形前方後円墳からなっている。 まず、行燈山古墳を主墳に大和天神山・アンド山(120メートル)・南アンド山(65メートル)の 3古墳が従属している。 また南に渋谷古墳を主墳に上ノ山(125メートル)・シウロウ塚(120メートル)の 二つの古墳群と西の方に柳本大塚(94メートル)などの古墳が点在している。 大和・柳本古墳群に続く王墓は、奈良盆地の東南の地を離れ、 盆地西北部の地に佐紀盾列古墳群(西群)として営まれる。 王権が移動したと考えられている。 (Wikipediaより) ※ |
歩く人は居なかったですが 車で来ている方々は〜 多かったです。この日。。。 ※噂をすれば〜 居ましたね。。 |
長岳寺さんの境内にも 新四国88箇所が有りました。 前には〜 ※ |
石工の腕が〜〜 ※花の寺なんですがね〜 |
山門前には ※綱が張られていました。 |
ザッパイ!簾の様なものも下げられて〜 御簾(ミス)ですって! 綾(あや)などで縁(ふち)を取った、目の細かいすだれ。 青竹で7・5・3に編まれ 注連縄の由来とか〜 ※ |
毎年架け替えられるとか〜 勧請綱 村の入口に疫病や悪人が強いりこまないようにする結界。 朴の小枝の上を五輪状に削った物に梵字と願文が書かれた物が 庚申杖だとか〜 |
勧請縄と山門 ※陸軍歩兵伍長 勲八等功七級 東田増太郎君之碑 勲位が事実上消滅した平安時代以降、江戸時代に至るまで官位即ち位階と 官職がもっぱら公家や武家の身分制の中で活用されるようになる。 明治時代に入り1875年(明治8年)に太政官布告に基づく勲等・賞牌(賞牌は翌年勲章に改称)の 制度ができ、勲章の等級として勲等(勲一等から勲八等まで)が制定され 次いで翌1876年(明治9年)に詔書に基づく大勲位が、最上位の勲等として制定された。 勲章の授与にあたっては、まず相応の勲等に叙した上(叙勲)で 勲等に相当する勲章が贈られることとされた(授章)。 さらに1890年(明治23年)に金鵄勲章が制定されると、 勲等の他に軍人に対して授与される功級という等級も創設された。 (Wikipediaより) |
先は〜 ※多くの道祖神・地蔵尊 |
下馬碑 キリっとした字が好きですネン〜 ※赤土が露出して〜 朱ですかね? |
カーナビは不可とか〜 更新されていない? GPS遮断?? ※太神宮燈籠 金刀比羅宮碑 |
此処にも道祖神 ※お堂の中は〜 |
庚申さまですかね。 ※明治期の地蔵様 個性的な表現ですね。 |
土壁も赤土で〜 ※寺内町だった? |
西北方向の大和神社方向に続く〜 ※ |
築地にも歴史が〜 ※キョロキョロしながら〜 |
参道脇街道風景〜 ※ |
大和棟も〜 ※ニャンコが出迎えて〜 |
赤土壁に琺瑯看板 結納製造 家具のデパート 有るの? ※掲示板の様な〜 |
隣りの集落 山中へ〜 |
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜 東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、 お見舞い申し上げます。阪神大震災も22年…今年こそエエ年に! マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に家事・仕事にて お休み〜残念! |
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