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ホンマに最後のポタ姿に成るんでしょうか? スズキエブリィW、16万キロ超走ってくれました〜 エンジンは10万キロで載せ替えしましたが… ※雅楽〜 ちょっと気に成りますが〜 |
奈良の旧村を 頑張って走ってます! ※永原の集落からは 北に離れた位置に〜 自転車出す前に一社寄ります。 |
明治41年陸地測量図 この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」 ((C)谷 謙二)により作成したものです。 昨日のコースと繋がります。 |
永原の集落が遠く見えて〜 外輪山は雨雲ですかね〜煙ってる… ※御霊神社正面 境内お邪魔して〜 |
御霊社燈籠 ※村中安全 |
御霊社燈籠 永原村 敬神講中 ※ |
手水舎 ※手水鉢 |
龍吐口 ※浮ドン好きそう〜 |
境内風景 鎮守の森に囲まれて〜 ※拝殿舎前 |
本殿舎 ※脇から〜 |
拝殿舎前の狛犬 佐吉さん作です 阿 ※吽 |
競り出す様に構えています。 永原村・福知堂村・惣氏子銘 ※太ももの筋肉も表現されて〜 |
この人のサインは 仮名用の筆でキッチリ書いたような彫方です。 エエなぁ〜 ※九条邨銘も〜 近隣集落が集まって 当時から有名だった佐吉さんに 直談判したんでしょうか? 高額のはずです… なんて〜アホ話をバ〜 |
尻尾は流れるような〜 ※ |
阿 顔にクラックが入っています。 何とか補修できますかね? ※吽 |
今にも動いて 鳴声が聞こえてきそうな〜 阿 ※吽 |
瞬間を切り取ってますなぁと〜 ※モデルは?? |
何度も見返して〜 ※ウットリします。 一級品の一つでしょうね。 前には〜 1 2 3 4 |
新緑の季節 ※末社 稲荷社 |
境内見返って〜 ※記念碑も〜 |
本宮修復玉垣芳名者 大阪・小名・柏木・長柄・黒木・穴師・大豆越・中山 奈良・大木・阿部田・函館・高田・成願寺・八田・堺・佐保・三島・海知・柳本・神戸・櫟本 井戸堂・京都・辻・嘉幡・郡山・但馬・服部・泉協・荒蒔・池田・小泉・竜田・菅田・吉田・川原城 色んな地域から〜 最高五拾圓(1円=明治時代なら約2万円/大正期なら2000位とか) ※本神社は明治43年に合祀 の文字が〜 |
花弁?いやいや〜 ※紙を四角く切って撒かれています。 何かの行事でしょうか? |
境内の目立つ樹木 アサダ?(葉が違うし)・ムクノキ?(葉が違うし) 何でしょうか? ※ |
中村直三翁採種の?? 中村 直三(なかむら なおぞう、 文政2年3月8日(1819年4月2日) - 明治15年(1882年)8月13日)は、 奈良県出身の老農(篤農家)・農業指導者。群馬県の船津伝次平、香川県の奈良専二と並び、 「明治の三老農」の一人として明治農法の確立に努めた。 また、従来の農書とは別に、角力番付、一枚刷り、小冊子など、 農民にわかりやすい形式を活用して、自らの農法を積極的に広めた。 1819年、大和国山辺郡永原村(現天理市)の貧農の家に生まれた彼は、 幕末各地で起きた農民一揆を機に、米の増収こそ問題解決の根本であると考え、 1863年以後イネの比較試作による品種改良を終生の仕事とした。 その成果は着々と実り、1868年、永原村など11ヶ村の耕地実測や農事改良、 稲種選抜などの功績で大和各藩から表彰された。 のち1872年に『地蔵早稲』を、1877年には76種の優良稲種を明治政府勧業祭(現農林水産省) へ提出、秋田・宮城・石川・大分各県の稲作指導にもあたった。 さらに1881年、第二回内国勧業博覧会には実に740種の稲種を出品、 全国の代表的稲種品種改良家と仰がれたが、翌1882年8月13日に病死した。 中村直三農功之碑 - 奈良市・奈良公園内 (Wikipediaより) |
奈良公園以外にも 永村の此処にも在ります! 入れませんが〜 ※ |
明治期からの道路が 今の家屋との境界〜 |
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜 東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、 お見舞い申し上げます。阪神大震災も22年…今年こそエエ年に! マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に家事・仕事にて お休み〜残念! |
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