今から約2000年前、中国南部地方で野生のフナの中から赤色のものが発見され、
これを原種として、変種の選別淘汰の末、今日の金魚に至っています。
我が国には、文亀2年(1502年)、室町時代中頃、中国から渡来したというのが定説のようです。
当時はもっぱら貴族、富豪のはなはだ珍奇な愛玩物として飼われ、
庶民の間で流行したのは、明治年間といわれています。
大和郡山市における金魚養殖の由来は、享保9年(1724年)に柳澤吉里候が
甲斐の国(山梨県)から大和郡山へ入部のときに始まると伝えられています。
幕末の頃になると、藩士の副業として、明治維新後は、職禄を失った藩士や
農家の副業として盛んに行われるようになりました。
もっともこれには最後の大和郡山藩主柳澤保申侯のおしみない
援助があったことが大きいと言われています。
(大和郡山市HPより)
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田圃より養魚が
効率が良かった?
※向こうに矢田丘陵〜
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盆地の中に守られて〜
※沢山の池が〜
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この地区に特に多い〜
※新木の集落
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庭にも養魚池
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養魚池
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特に夜間!
突き当りは
注意が必要〜
※空き地も目立ちますが〜
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綺麗な家屋門
※門の中は花盛り〜
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南林寺さん
※地図で見ても周りは金魚の
養魚池だらけ!
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家の庭にも
金魚池!
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国旗掲揚台
※謹而祈皇国之隆昌
昭和11年銘
新木青年団建之
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集落の名は新木(ニキ)
金 達寿(キム・タルス/キムダルス、1919年11月27日(太陰暦)
・1920年1月17日(太陽暦)- 1997年5月24日)は、在日朝鮮人小説家・古代史研究家。
在日朝鮮人文学者の嚆矢ともいえる存在である。
『日本の中の朝鮮文化』で有名な
金さん式に言えば
新羅から来たのでは?との仮説が出そう〜
神社名は新城神社サン
※近鉄橿原線線路の横
なんですわ〜
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鳥居脇の石燈籠は、
牛頭天皇銘
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手水舎
※見返って〜
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コナレ過ぎで
文字が読めない〜
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拝殿舎前の狛犬
阿
※吽
武運長久刻
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昭和期ですね。
なにわ型
※日本書記の天武天皇記には
天皇此の地に都を移そうと行幸されたとか、
続日本書記には光仁天皇は『新城宮に幸給ふ』
古より当神社境内地は新城宮址に比定されているとか
(一部抜粋)
へぇ〜
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郡山城主柳沢保光堯山公筆
牛頭天皇
扁額
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拝殿舎内部
本殿舎
※末社 玉垣大明神
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記念 安田忠義 碑
※アカン〜またまた
ネット検索出てこない。。。
地元の名士さんでしょうね。
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大正8年銘
鳥居
青島 松本 ?祐?
青島(中華人民共和国山東省)ですかね?
※多くの玉垣〜
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周りとの段差は見られない。
※東西方向に
佐保川と富雄川とに挟まれた
比較的平らな地区です。
水運と水には困らない?
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