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小泉神社の脇の道を〜 ※今回のポタでは 右から登場しました。 前は〜 真っ直ぐに行きましたが… |
北へ上ります〜 ※見返れば… |
維摩寺さん ※ |
小泉神社西側の路地 ※薙刀池 水門が鳥居に似てる〜 |
御庭池との間を行けば〜 ※先には復興櫓 |
脇の築地沿いに〜 ※エエ感じの御屋敷 |
高林庵 小泉城(こいずみじょう)は奈良県大和郡山市小泉町(大和国添下郡)にあった日本の城(平城)。 別名、片桐城、小泉陣屋とも呼ばれている。小泉陣屋時代は小泉藩の藩庁でもあった。 もともと興福寺衆徒で1443年(嘉吉3年)に小泉氏が大乗院門跡経覚と共に長い間筒井氏と戦った。 中略 その後、豊臣秀長が大和国を治めるが、その家臣であった羽田長門がこの小泉の地に4万石で入った。 この時に現在もあるナギナタ池、お庭池を含む外堀を造ったものと言われ、 小泉氏の館跡を拡大したと思われている。 1601年(慶長6年)、豊臣秀吉に仕えていた片桐且元の弟片桐貞隆が小泉城を含め1万5千石で大名の列に加わった。 その後『茨木市史』によると「片桐氏の茨木入城の時期については関ヶ原合戦後と考えた方がよい」とあり、 関ヶ原の戦い後に片桐且元、片桐貞隆兄弟の本拠地としていた龍田城や小泉城から、 大坂城の近くにある茨木城に移って豊臣氏を補佐していた。 そして大坂の役が終わると、今度は徳川家康より片桐且元は4万8千石、片桐貞隆は1万6400石に加増され、 片桐貞隆は1623年(元和9年)に小泉城に戻ってきた。 ここより小泉陣屋として新たにスタートし、陣内にいた農民を街道筋に屋敷替えを命じ再び大きく改修した。 茶人として有名な石州流の元祖、片桐貞昌は小泉藩第2代藩主である。 貞昌は弟の貞晴に3千石分知し、小泉藩は1万3千石となった。 3代藩主貞房の時、庶兄の片桐信隆に1千石を分知したため、1万2千石となった。 さらに収公され1万1千石となった。 片桐氏は初代貞隆から12代貞篤まで代々と小泉の地を離れることなく明治維新を迎えている。 廃城は廃城令によって取り壊されたと思われている。 (Wikipediaより) ※ |
武士の茶しのぶ「聖地」 石州流茶道流祖・片桐石見守貞昌(石州)の旧片桐城跡が現在の財団法人高林庵。 石州流茶道宗家の本部であり、片桐家の居宅ともなっている。 (奈良新聞HP大和建築詩より) ※片桐稲荷大社サンは 此の門の中とか〜残念! |
城跡と思えば 広大な敷地だったでしょうね。 ※薙刀池北側より〜 |
県道沿いに〜 小泉大塚古墳ですね。。 ※ |
もう少し付近を散策して〜 ※鯱・飾り瓦・懸魚〜 |
下ったところに〜 ※多くの石材が〜 |
路地を曲がれば 片桐城址碑 ※ |
奥は住宅ですかね。 ※堀跡? |
先へ進めば奈良街道〜 |
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜 東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、 お見舞い申し上げます。阪神大震災も22年…今年こそエエ年に! マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に家事・仕事にて お休み〜残念! |
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