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私の作ったコースは 法隆寺境内入らずに〜 へそ曲がりなんですわ… ※上りでゴメン! |
屋門横目に〜 ※700C×23Cの細いタイヤでは ダートはしんどいと〜 28C位は欲しいですね。 |
まぁ〜急ぎませんから〜〜 ※見返れば〜 |
境内伽藍が目の下に〜 ※ |
ん? 呼ばれました〜 ※寄り道は大好きです〜 目を三角にして走って居たら気が付きません。 |
ラングドン・ウォーナー塔 ラングドン・ウォーナー(Langdon Warner、1881年8月1日 - 1955年6月9日)は、アメリカの美術史家。 太平洋戦争時、日本の多くの都市・地域に空爆があったが、京都は爆撃されなかった。 この事実の理由として、ウォーナーが、空爆すべきでない地名のリスト(ウォーナーリスト)を 作成して米政府に進言したから、という説がある。 リストは、戦前にウォーナーが翻訳作業を手伝った日本古代美術展カタログを下敷きに作成された。 ウォーナーと親交があった美術研究家の矢代幸雄が、1945年11月の朝日新聞にウォーナーリストが 文化財を救ったという談話を発表したことから広まり、以来広く一般に知れ渡った。 1950年には、通常爆撃目標からの除外が原爆の投下目標のためで あったにも関わらず「京都は日本文化の象徴であり、爆撃の目標から特に除外された世界平和の生きた記念像である」 という認識に基づく「京都国際文化観光都市建設法」が公布され、 ウォーナーが亡くなった1955年には勲二等瑞宝章が授与され、高山義三京都市長もハーバード大学に感謝状を贈った。 京都を救ったのはウォーナーであるという話に基づいて、1958年6月、法隆寺西円堂の近くに、 供養塔、顕彰碑 ウォーナー塔(Warner Monument)が建立された。 鎌倉にも同趣旨に基づくプレートがある。 (Wikipediaより) ※多宝塔の様な〜 |
いずれにせよ 日本の大切なものを守ってくれたと〜 ※我が会にも大切なもの〜 |
1958年6月建立だとか〜 ※ |
見返って 築地の脇の自転車達 ※ |
自転車向うの西南円堂 前には〜 ※ |
未だ押します。 ※ |
涼風は御馳走に〜 ※耕作されてます。 |
乗れそうな場所でも ついつい押します。 ※乗れるところは乗りますと〜 |
標高105.5m辺り ピークです。 ※下りは大好きです〜 |
ダートの下りは 撮影の敵です。 ※ |
ブレーキ握りしめて ゆっくり下ります〜 歌詞のように… ※ |
広がりのある絵 ※ |
皆、下りが大好きな〜 ※ |
あそこまで行きましょう〜 ※脱兎のように! |
ランドナーが絵に成る風景 ※ |
少しの上りもなんのその〜 ※ |
見返れば〜 大和盆地が… ※ |
耕地整理完成記念碑 ※昔から白石越えで平群まで続く 街道なんですわ。 耕地整理でまとめられた地蔵様・道祖神 |
エエ景色でしょう〜 ※ |
アソコから来ましてん! ※ |
上らずに 下ります〜 ※仏塚古墳説明板 |
斑鳩町極楽寺墓地 江戸期からあったそうな ※溜池脇の八重桜が満開! |
墓地から応援の声も? |
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜 東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、 お見舞い申し上げます。阪神大震災も22年…今年こそエエ年に! マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に家事・仕事にて お休み〜残念! |
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