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奈良吉野川堤防を〜 気持ちのよい景色の中を! ※ランニングコースの 折り返し地点。。 |
新町通りが呼んでますが〜 西方寺さんの銀杏 ※花火大会も有るんでしょうか? |
川側から見る町並みも好きです。 前には〜 1 2 3 4 5 ※ |
比較的綺麗に整備されています。 バックは金剛山 ※ |
五新線高架跡 ※ロケーションは最高なんですが… 対価効果は?? |
寿命川の流れも〜 ※此処に鉄橋が有った? |
落ち鮎狙い?と、思えば〜 川に立ち込んで フライフィッシング ※ |
土地の所有権は?? 散策〜 |
公園のモニュメント〜 この地の昔写真が… ※ |
昔には五新線の橋脚跡が有ったんですね。 爆破撤去したとか。 おかっぱ頭が新鮮です〜 ※へぇ〜大川橋は木橋だった。。 流れ橋のような… |
晒も有ったんですね。 花見の見物は昔も今も〜 ※ええ資料ですね。 |
二見貯木場写真 川の港は〜前に 賑わったんですね。 水運と!鉄道と! ※曲渕と呼ばれたんですね。 |
南大和の中心都市・五條市の吉野川北岸に位置する五條新町は「五條」と「新町」から成る。 五條は中世末に町場が形成された地区であり、その西の新町は近世初頭に城下町として新たに形成された地区である。 伊勢・大和・紀伊を結ぶ街道が交差し、吉野川(紀の川)が流れる五條は、古くから交通の要衝であり、 近世には伊勢街道の宿駅として栄えた。 慶長13年(1608年)、松倉重政がこの地に一万石で入部し、二見城を築いた。 五條市二見5丁目の妙住寺がその城跡である。 城と五條の町場とは離れており、この間を結ぶ道沿いに発達したのが新町である。 松倉重政は元和2年(1616年)に肥前日之江城へ転封となり、二見城は廃された。 以後の五條新町は天領となり、商家町として発展する。寛政7年(1795年)には五條代官所が置かれた。 (Wikipediaより) あの森の向こうに城跡は有ったんですね。 |
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜 東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、 お見舞い申し上げます。阪神大震災も22年…今年こそエエ年に! マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に家事・仕事にて お休み〜残念! |
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