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GWの大和路〜まださん・浮ドンと!
大和高田から法隆寺へ〜
今回のフルポタは、いつもの旧村・神社廻り。。
渡来人の足跡・伊勢神宮石燈籠・狛犬〜色んな出会いが!

平野飯高・小槻(宝篋印塔(役行者)) 12

昨年からの目標はフルサイズ!
フルメンバーは、中々時間が取れなくて・・・
大型連休、皐月晴れの青空の下…久々のまださん・浮ドンと〜
だからいつもの路地探し。。。
相棒自転車は片倉シルク号(昭和41年10月製)
伊勢参りの帰路は、奈良から大坂への山越しを避け
奈良からは、比較的平坦な大和の街道等を使い、
京都伏見を目指し、その後三十石舟(夜舟)で大坂八軒屋を目指した。
(桂米朝師 三十石夢乃通路 枕より)


※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成28年05月04日
                                           UP日:平成28年06月07日

野辺から集落入口には
地蔵堂が〜

※唐臼も〜

小槻(オウズク)の集落



神社到着〜
バックの寺院は神宮寺?

※拝殿舎正面

 子部神社扁額
子部(こべ)神社は、小さな社だが、
雄略天皇の養蚕の話にまつわる伝承を残す古社である。
祭神は小子部命(ちいさこべのみこと)。
養蚕を始めようとした雄略天皇はスガルに国中の蚕(こ)を集めるように命じたが、
勘違いしたスガルは、赤ん坊(子ども)を集め、天皇に献上した。
そこで天皇はスガルに小子部連(ちいさこべのむらじ)の姓を与え、
子どもたちの養育に力を注がせたという。この伝承は、
古代、この地に少年男子の育成に関わる機関があったことを伺わせるものという。
現在の飯高のあたりは、古代には飫富郷(おふごう)と呼ばれ、
子部も「おふ」に通じる名前だった。
「飫富」はのちに「飯高」に誤記され、そのまま現在に至っているといわれている。
(古都ならHPより)

推古天皇時分なら〜

皇太子殿下御降誕国旗掲揚台
昭和天皇?

※手水舎

本殿舎
狛犬、どちらも阿?

※拝殿内部の奉納絵馬

本殿舎前の狛犬とは違う顔
口角が上がった狛犬


※吽

全体は〜


※吽

アニメみたい〜
浮ドン激写!

※さて、どんな作品が…?

この塀一つ境で〜

※寺院の屋根〜

本殿舎脇から〜

※境内を
お邪魔して〜

大きな楠

※境内摂社

石燈籠も〜

※庚申塚?

百度石

※児童公園も併設されて〜

瑞花院本堂(重要文化財)
瑞花院は、興福寺の衆徒16人衆のうち、飯高(ひだか)氏の菩提寺として創建された寺で、
嘉吉元年に本堂の建築が始まり、嘉吉3年(1443)に上棟した。
当初本尊には大日如来を安置し、真言密教寺院として始まったが、その後衰退する。
江戸寛文年間に浄土宗の然達和尚が中興し、寛文5年(1665)には
浄土宗の本堂形式になり、本尊も阿弥陀如来となった。
本堂は寄棟造、向拝一間の本瓦葺で、重文に指定されている。
大正や昭和の修理の際に古い部材の再利用が認められ、
今後の調査によっては創建がさかのぼる可能性もある。
(古都ならHPより)


※背面から〜

綺麗な本瓦〜

※近接の御家も負けてません!

複合遊具



この辺りから
マダさんがカモさんと前に
この辺りをポタしたことを思い出されて〜



確か、こっちに〜

※杢目の綺麗な屋門

少し屋根が…

※丸ポストが現役で〜

あれれ〜

※大きな倉庫

あの煙突覚えてます!と〜

※造り醤油屋さんか酒屋さん〜

消火栓どこに?

※南へ〜

キョロキョロしながら〜

※レンガ塀も〜

子槻の集落過ぎる辺りに

※此処ですわと…
煙抜き家屋が。。

地蔵堂脇に〜
大峯山三三度碑

※脇に宝篋印塔(ほうきょういんとう)
中国の呉越王銭弘俶が延命を願って、諸国に立てた8万4千塔(金塗塔)が原型だとされている。
これは、インドのアショーカ王が釈迦の入滅後立てられた8本の塔のうち7本から仏舎利を取り出して、
新たに銅で造った8万4千基の小塔に分納したものだといい、日本にも請来されて現在国内に10基ほどある。
石造宝篋印塔は銭弘俶塔を模して中国において初めて作られ、日本では鎌倉初期頃から制作されたと見られ、
中期以後に造立が盛んになった。
銭弘俶塔の要素を最も残すのが北村美術館(京都市)蔵の旧妙真寺宝篋印塔・一名「鶴ノ塔」である。
ただしこの装飾性の強い塔は古塔の中では特異で孤立しており、いまなおその歴史的位置付けは明瞭でない。
在銘最古の宝篋印塔は鎌倉市の某ヤグラから出土した宝治二年(1248年)銘の小型のものである。
これは無紋の大きな隅飾りが垂直に立ち上がっており、
京都市右京区の高山寺塔や為因寺塔(文永二年銘)に共通する特徴を持ち、
これら装飾性の少ないものを特に「籾塔形式」と呼ぶ。
これら素朴な籾塔型から次第に装飾性を強めて現在よく知られる
石造宝篋印塔のスタイルが確立したものと考えられる。
名称は、銭弘俶塔に宝篋印陀羅尼(宝篋印心咒経/ほうきょういんしんじゅきょう)を納めたことによる。
ただし、石造宝篋印塔で実際に塔内から陀羅尼が発見された例はない。
本来的には、基礎に宝篋印心咒経の文字を刻む。
(Wikipediaより)


其の塔身部には
刳貫かれていて役行者像が〜
願主は飯高村・多村

※明和2年?(1765)の塔です。

意匠は隅飾りが跳ね上がり
返花座は大人し目

※石材が違いますが
この姿は〜
丹波佐吉さん(1817〜1870?)作でしょうね!

塔の色が黒っぽいので目立ちます。
綺麗に祀られて〜

※堂内の地蔵様

柔らかな微笑みで〜
前には
前鬼・後鬼は無いですが…

※塔の方が50年ほど早く出来てますので
どういう曰くかは?なんですが〜
佐吉さんで間違いないと…

左:神武天皇
右:たつた?・法隆寺

※ん?相輪部が新しい〜
何で…??

A:名主さんから聞いた話やけど
器用に石像を彫ってくれる人が
この近くに逗留してるデ…
B:ほんなら、お酒呑ませて
作ってもらおか〜
A:そやな、お前とこの娘がベッピンやから
酌させて頼ましたら…

なんて〜〜

※アホ話の花を咲かしていたら〜

向こうから声を掛けられて…
何?

※あんたら何してるの?
いつもの常套句で…
素晴らしい佐吉さんの事、
舎利寺での像のことを話したら〜
今度行くわ!と…
何で、相輪部が新しいのを教えたろか〜
前にお葬式が有った時に、この場所で
マイクロバスがUターンしようとして
ブッツケたとか、其の時に、保険使って
綺麗に直したとも。。

佐吉さん像が無事なら良かったですわ!!

気をつけてな〜!
と、帰られました…

※丹波佐吉さんの伝導も終わったし
次行きましょうと〜

一本一得!

※お腹減ったと…

大型家電屋さんは有るのですが〜
コンビニも無い。。。

※村中横目に〜

飯(ひ)高村の名残も横目に〜

※窓飾りが昭和!

飛鳥川支流
環濠の一部?
上流方向

※下流方向

向こうにR24BP


平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…今年こそエエ年に!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、体調不良に御仕事にて
お休み〜残念!
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