高見川沿いの
東吉野村役場
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鮎釣りには良さ気な…
※小川の集落中
県道220号
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醤油ヤマトニシキ
金紋ミズホ酢・栄光みそ
琺瑯看板
※街中道路は狭いですね〜
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丹生川上神社中社目指して〜
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車中から非日常の旅風景を
楽しみます。
※丸ポスト〜
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旅館でしょうか?
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おお〜!
キャンピング車
ガンバです!
※ニッカポッカ、革サドルに
テント持ちの6バック!
正統派ですね。。懐かしい〜
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小川城址裏側の集落
※東吉野小学校
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校門
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山は深く水清く…
校歌みたい。。。
※天誅義士墓
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黄色beat君!
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小(オムラ)集落
読めませんね。
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川沿いの山際地形
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小集落過ぎたところに〜
※丹生川上神社中社が在ります。
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手水舎
※手水鉢の龍
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扁額
古くは「雨師明神」と称され、江戸時代からは「蟻通明神」とも称された。
大正以降、同郡川上村の丹生川上神社上社・同下市町の丹生川上神社下社に対して
「丹生川上神社中社」とも称されるようになったが、
これは上下2社が既に存在したために、これを「中」としたもので、
位置関係や社格の上下を表すものではない。
(Wikipediaより)
※社務所
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大きな杉が目に付きます。
※叶えの大杉
樹齢1000年程、樹高51.5m、幹廻り7.1mの杉の古木で大杉の幹に両手を当て、
心の願いをこう唱すれば、御神威が授かる処から、
日夜大杉の前で祈る老若男女の姿が多くみられる。
(丹生川上神社HPより)
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関電・東電
水力発電の名残?
祈雨には黒馬を、止雨には白馬又は赤馬を献じ朝廷の特に崇敬する
重要な神社でありました。763年より応仁の乱の頃までは朝廷よりの雨乞い、
雨止めの奉幣祈願が九六度されていることが記録にみられることからも
当社がいかに重要な神社であったかが伺えます。
(丹生川上神社HPより)
※絵馬
神戸市?
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小牟漏岳
(神社背後の山)
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鎌倉時代の燈籠とは違いますよね〜
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※絵馬
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本殿舎
※檜皮葺が綺麗に〜
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拝殿舎
右の燈籠と石段の間に
佐吉作の狛犬の後ろ姿が〜
残念!
神社の方に、お願いしたら良かったですが…
この時点では、確認が取れませんでした。。。
再度挑戦ですかね〜まだサン!
※丹生の真名井(清めのお水)
御本殿裏手の乎牟漏岳を分源として罔象女神(水の神)の
みずみずしい秘めた力と恩恵(みめぐみ)を受けた御神水が
御本殿の地下を脈々と通り、御井戸に滾々と湧き出ております。
水の神様のみずみずしい清めのお水、
生命のお水を戴いて活力ある日々をお過ごし下さい。
(丹生川上神社HPより)
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当神社の御祭神「罔象女神(みづはのめのかみ)」は、
水一切を司る神様で水利の神として、又は雨の神として信仰され、
五穀の豊穣に特に旱続きには降雨を、長雨の時には止雨を祈るなど、
事あるごとに心からなる朝野の信仰を捧げ、水神のご加護を祈ってきました。
今を去る事千三百年余り前、第四十代天武天皇白鳳四年(675年)
「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば
天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」との御神教により創祀せられ、
雨師の明神、水神宗社として朝廷の崇敬は殊の外篤く「延喜式」(927年)には
名神大社に列せられ、又平安時代中期以降は、祈雨の神として「二十二社」の
一つに数えられました。
(丹生川上神社HPより)
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十六菊紋
観賞用のキクは奈良時代に中国大陸より伝えられた。
高潔な美しさが君子に似ているとされ、梅、竹、蘭と共に四君子とされた。
文学上は、『万葉集』には詠まれておらず、
『古今和歌集』、『源氏物語』などから登場する。
平安時代には、陰暦9月を菊月と呼び、9月9日を
「重陽の節句」「菊の節句」とし、
菊花酒を飲む「菊花の宴」「菊花の杯」で邪気を払い、長命を祈った。
菊文様も吉祥文様として、好んで装束に用いられた。
鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。
その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、
慣例のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊が皇室の紋として定着した
(「十六弁菊は南朝の紋で、三十二弁菊(十六弁八重菊)は
北朝(および現皇室)の紋である」との説明も見かけるが根拠不明である)。
江戸時代には幕府により葵紋とは対照的に使用は自由とされ、
一般庶民にも浸透し、この紋の図案を用いた和菓子や仏具などの
飾り金具が作られるなど各地に広まった。
(Wikipediaより)
満月・三日月の間に〜
三日月(みかづき)・ 若月(わかづき)・眉月(まゆづき)・蛾眉(がび)
三日月はその形から、「弓」のほか、「剣」や「鎌」、「櫛」、「舟」などに例えられ、
異名・別名が多く、初月(ういづき・はつづき)・若月(わかづき)・眉月(まゆづき)等
とも呼ばれる。
夕方、西の空に見え始める。英語では「Crescent Moon」という。
(月を楽しもう!HPより)
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吉野離宮址
離宮の行幸のたびに珍しと
蛙の声を聞こしめしけむ
元宮中顧問官 井上通泰
萬葉の歌に多く詠まれ又しばしば蟻通ひ給ひし吉野離宮は雄略天皇が御獵なされた
小牟漏岳の麓秋津野の野辺に宮柱太敷まして建てられてゐた。
そこは丹生川上神社の神域地でこの辺りから奥に離宮があったと推定される。
この対岸には大宮人の邸宅があって川を堰止め舟を浮かべ離宮に出仕のため
朝な夕な競ふて渡った。今も邸宅の名残である御殿や軒先と云ふ地名が残ってゐる。
昭和四十一年十月十六日
東吉野村郷土史蹟顕彰会
※こっぽりの
子が衝羽根の
實を拾う
和
何のことと思えば〜
本社が鎮座する小牟漏岳の主として尾根筋に、ツクバネが生息しています。
ツクバネはビャクダン科の半寄生性の落葉低木で、
関東以西の本州・四国・九州北部に分布しています。
本種は雄雌異株で、5月から6月に小さい花を咲かせますが、
雄花は枝先に数個群がってつき、雌花は枝先に1個つきます。
花弁は早く落ちますが、花を包んでいた4枚の苞(ほう)が3cmほどに伸びて
葉状となって開きます。
この実が羽子板の羽根に似るところからツクバネと呼ばれ、
本種の名前になりました。
若葉も実も食用としますが、衝羽根状の果実は塩漬けとして正月料理の添え物に使います。
衝羽根のような形態を示すために、「ツクバネ」の名前のついた植物に、
ツクバネガシ(本社の宮山に生育しています)、ツクバネソウ、
ツクバネウツギ(多数の園芸品種があります)、ツクバネアサガオ(ぺチュニア)があります。
文:菅沼孝之(特定非営利活動法人 社叢学会 副理事長 理学博士)
(丹生川上神社HPより) |
相生の杉
樹齢800年程の杉の大木が相い対いするよう真直に聳え立っております。
いつしかこの2本の大杉を"相生の杉"と呼称し、夫婦円満、
延命長寿の御加護があると信仰されております。
(丹生川上神社HPより)
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本殿舎脇より〜
※本殿は江戸時代文政十二年(1829年)の建築で、
東吉野村の文化財に、又瑞垣内にある灯篭は鎌倉時代の弘長四年(1264年)銘で、
国の重要文化財に指定されています。
(丹生川上神社HPより)
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檜皮葺は大好きです。
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木霊神社
祭神:五十猛命(須佐之男命の御子神)
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丹生川上神社の摂社と思えば〜
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別神社なんですね。
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風元詩を碑として
神涼し
芳春
※俳人 原 石鼎先生句
頂上や●に
野菊の吹かれ居り
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百度石
※社務所全景
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もう一度来ますね〜
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木霊神社
※縁側に座って〜
タバコ屋サン
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沈下橋
※天誅組の墓
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小川の集落に〜
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古い標識
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丸ポストではない?
※煙抜き家屋
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来た道を帰ります。
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自転車で来たいなぁと〜
シンドいでしょうが。。。
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