的場の大福寺さん目指して〜
※公園の遊具は〜
ワイルドです!
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大福寺さん山門
聖徳太子関係、本日3院目
※聖徳太子の建立と伝えられ、
もと東大福寺・西大福寺が存在した。
天川弁財天から勧請された弁財天の信仰と、
中世大和土豪箸尾氏の帰依により鎌倉・室町・戦国時代には
隆盛を誇ったとみられる。
江戸時代を通じても徳川歴代将軍の護持を受けた
朱印状を多数拝受しているが、現代ではこの西寺だけ残った。
(看板より)
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築地は〜
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入り口附近
境内風景
※此処には何が有ったのでしょうか?
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境内摂社
※歌碑
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鎌倉時代後期の層塔
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層塔下部
※本堂正面より
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江戸時代中期の建物とか。。
※鬼瓦は優美に〜
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本瓦が波打って…
狛犬瓦
※観世音
扁額
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天満宮
※本殿舎
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往時は綺麗に彩色されていたんでしょうね。
※本殿舎裏側
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手摺も朱色が…
※本殿舎正面には
梅の絵もかすかに見えます。
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木鼻は梅?
※万年青?
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境内見返って〜
※大師堂
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四国八十八箇所
写しなんですね。
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写しの中に
心柱基礎
※築地も〜
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奥にも層塔
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本殿別方向より〜
※鬼瓦〜
伊丹空港に通じる航路の下。
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浮ドンも撮影中〜
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冬紅葉〜碑
※的場の町名
探して〜
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右上に的場銘が〜
※藤原為方は当時「箸尾」とも呼ばれた大和国広瀬郡的場邑(現在の奈良
県北葛城郡広陵町的場)に居城である大和箸尾城を築城し、
箸尾氏として大和で確固たる地位を固めました。
「箸尾」は春日社節供料所で鎌倉期には「馳瀬尾」や「馳尾」と書き、
「馳瀬尾新荘」や「馳尾新荘」とも称しました。
この箸尾氏の末裔が土地の名を名乗ったのが的場姓の発祥です。
この広瀬郡的場邑の「的場」という地名は、歩射神事が行われた
的場(的を射る広い空間)であることから名付けられたもので、
流鏑馬などと同様に、通常は馬場などで行われます。
おそらく、現在、大福寺の広い境内の一部が馬場で、ここで歩射神事が
行われた。『日本の苗字七千傑』より
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有りましたね〜
後にバス停も〜
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背高蔵も〜
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北側路地
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有りましたよ!
的場公民館
※浮ドン横目で〜
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腰高倉
※西向いて〜
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村中水路〜北側
※見返って〜
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村中水路〜南側
※西へ〜
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脇道キョロキョロしながら〜
※見通しは悪いですね。
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北へ〜
ニャンコが道案内…
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田型路地
※四ツ辻で東方向〜
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西方向に向かいます。
※脇道キョロキョロ
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旧村外の道路に出ました。
※北へ〜
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商店〜
※記念タオル屋サン〜
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千本出格子
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近鉄箸尾駅
※横目に踏切を〜
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近鉄田原本線
単線列車交換地点
※箸尾駅方向〜
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