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ポコンとした丘 古墳と思いましたが〜 ※黒田大塚古墳 黒田大塚古墳は、古墳時代後期の前方後円墳である。 周濠まで含めた本来の全長は86mであるが、後世に周濠は埋め立てられ、 墳丘の周囲が削り取られている。 周濠の発掘調査では埴輪や木製品が出土しており、 墳丘上に立て並べられていたものと考えられる。 葺石は認められない。 出土品の一部は、唐古・鍵考古学ミュージアムに展示されている。 (田原本町HPより) |
へぇ〜 環濠付きの前方後円墳だったんですね。 |
前方へ〜 ※地元の方が ツクシ取りされていました。 |
西に二上山〜葛城の峰が〜 手前に馬見の丘陵も。。 ※シロバナタンポポも〜 |
東側〜 後円墳側 向こうに天理の外輪山 石上神社方向〜 ※ツクシ取りの邪魔せぬように〜 |
三角点 選点しますよね〜 此の比高差なら。 ※南は黒田の甍の向に 大台ケ原の峰々が〜 |
葛城と金剛の峰も〜 ※ |
ツクシは何本有るでしょうか? ※そうか〜 此処まで切り込むのですね。 無花果の剪定〜 勉強に成ります。 |
あの森は? ※行きましょう〜 |
法楽寺さん ※本堂〜 |
法楽寺は、由緒書によれば、孝霊天皇黒田廬戸宮跡に建立され、 聖徳太子開基にかかるものとされる。 承元元年(1207年)、伽藍坊舎は残らず焼失したが、 貞応元年(1222年)に再建がなされた。 長禄三年(1459年)八月の墨書銘をもつ板絵には、 盛時の法楽寺の伽藍坊院が描かれている。 室町時代の盛期には堂宇25を数えたが、兵火で焼けて現在残るのは1坊のみである。 本尊は子安地蔵菩薩立像。僧形地蔵菩薩坐像(室町時代後期)などの 古い仏像も所蔵する。 (田原本町HPより) ※桃太郎伝説発祥の地 後世の桃太郎の話は、吉備津彦を モデルにして成立したと考えられる。 日本書紀・古事記は共に、 吉備津彦の父にあたる第七代の孝霊天皇の都を 黒田廬戸宮と記しているが、 それはこの黒田・宮古の地に比定しうる。 また、田原本町は、川上から男子が流れてきて 神様になったという伝説を残し、万葉集に詠まれたように 桃の名所でもあった。 現代、各地に吉備津彦兄弟や孝霊天皇の鬼退治伝説は 田原本町が発祥の地といえるだろう。 (碑文より) |
本堂正面 龍像 ※鬼瓦に獅子 聖徳太子関係本日、2院目 |
獅子に鴟尾 瓦は名前入り。。 |
(孝霊神社境内看板より) |
田原本御佛33ヶ所巡礼 地蔵菩薩坐像 ※孝霊天皇黒田廬戸宮碑 |
アピールします! ※ヤギの子 要りませんかと? |
西へ〜 ※地蔵堂が〜 |
道標も〜 すぐ 郡山・奈良 すぐ 法隆寺 ※石祠付きの地蔵様 |
イケメンの地蔵様 ※大和高田の変電所まで〜 葛城の峰も微笑んで〜 |
残され美容室 営業はされてませんねぇ〜と。。 ※向こうに飛鳥川堤防が〜 |
地蔵様 手書き看板は一時避難場所って… ※飛鳥川堤防 |
上流方向〜 ※下流方向〜 |