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水路横を〜 ※奈良県立教育研究所横目に… 向こうには二上山 |
東は三輪山などの外輪山状態 ※ぐるりと回って 秦庄へ〜 |
水路にはMy橋が架かり〜 煙抜き家屋も。。 ※出格子窓も〜 |
少し広い場所には〜 ※国旗掲揚台が… |
浄土真宗本願寺派 浄土寺さん 前の地蔵様 ※飾り瓦は 戎様〜 |
大和棟〜 ※少し北へ〜 |
春日神社サン到着〜 ※神宮寺の秦楽寺は大和三楽寺の三池の一つ、 梵字の阿をかたどった阿字の池 弘法大師に叱られて以来 この池では蛙が鳴かなくなったとか〜 (看板より) |
池の畔の 絵馬堂 鯱も〜 ※絵馬には 朝鮮半島の衣装のような〜 |
多くの絵馬も〜 ※ |
前にも〜 ※笠縫神社営繕記録 氏子さんは 秦楽寺と九品寺に〜 |
赤は春日神社、 手前は笠縫神社 ※お邪魔して〜 |
春日神社サン ※笠縫神社サン |
阿 ※吽 |
阿字の池 境内地修復中〜 お疲れ様! ※唐風表門も修復中〜 |
大東亜戦争 殉国碑 ※神宮寺の秦楽寺さんの鐘楼 秦楽寺(じんらくじ)とは、奈良県磯城郡田原本町秦庄にある真言律宗の寺。号は高日山浄土院。 門は珍しい中国風の白色が美しい土蔵門である。本尊は平安時代作の千手観音。 本尊の向かって右に聖徳太子像、左に秦河勝像を安置する。 秦河勝像の台座には明暦元年(1655年)9月14日と多武峯住 藤室法印良盛の銘がある。 寺伝では、大化3年(647年)、百済王から贈られ、 聖徳太子から秦河勝に下賜された観音を当地に安置したことにはじまるという。 聖徳太子が、斑鳩から都に通った道であると伝えられる筋違道(太子道)は、 寺の少し北を通過し、近い。 大同2年(807年)、唐から帰国した空海が、境内に梵字の「阿」の形の池を作ったとされている。 この阿字池は、7〜8月に咲く蓮の花で有名。 また、空海はこの寺で「三教指帰(さんごうしいき)」を書いたとの伝えがある。 さらに、空海が、執筆中、阿字池の蛙が騒がしく鳴き、静かにするように叱ったので、 それ以来騒がしく鳴かない、という伝説がある。 元亀元年(1570年)松永久秀が十市郡に進出、 寺は一旦灰燼に帰し、宝暦9年(1759年)僧、恵海が再興した。 方広寺の大仏再建に尽力した僧 恵美が、勧進のため描いた、 現在とは違う姿の大仏画が昭和54年(1979年)発見されている。 (Wikipediaより) |
秦楽寺本堂〜 ※ |
百度石 |
本堂瓦のイノシシ? 歓喜天なら像頭人身ですと〜 ※隣の大聖歓喜天堂の 瓦にも〜 |
歓喜天(かんぎてん、Skt:Vin?yaka、Ga?apati、またはナンディケーシュヴァラ Nandike?vara 歓喜自在天)は、 仏教の守護神である天部の一つ。 また、聖天(しょうでん、しょうてん)、大聖歓喜天、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、象鼻天(ぞうびてん)、 天尊(てんそん)。 あるいはVin?yaka、Ga?apatiを音写して、毘那夜迦(びなやか)、?那?底(がなぱてい)ともいう。 象頭人身の単身像と立像で抱擁している象頭人身の双身像の2つの姿の形像が多いが、稀に人頭人身の形像も見られる。 古代インドでは、もともとは障碍を司る神だったが、やがて障碍を除いて財福をもたらす神として広く信仰された。 ヒンドゥー教から仏教に取り入れられるに伴って、仏教に帰依して護法善神となったと解釈され、 ヒマラヤ山脈のカイラス山(鶏羅山)で9千8百の諸眷属を率いて三千世界と仏法僧の三宝を守護するとされる。 悪神が十一面観世音菩薩によって善神に改宗し、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神とされ、 日本各地の寺院で祀られている。 (Wikipediaより) ※手水鉢 |
正面から〜 ※阿字の池 |
サンシュユの花も満開! UFO先生とも良く見に行きましたねぇ〜 ※どこから見たら 梵字の阿に見えるんでしょうか? |
庚申碑 ※池の守り 竜神を祀る社 |
境内修復中なので〜 ※ぐるりと〜 漆喰も剥いで〜 お疲れ様! |
まずは1院目(聖徳太子関係寺院) 秦河勝は京都にも深い関わりが〜 ※大和猿楽の一つ 円満井座(後の金春流)の屋敷があったとか。 |
向かいの地蔵堂 ※秦庄メイン通り〜 |
突き当りは 宮森 ※中街道に戻ります〜 |