旧田尻村に入って〜
※羽田記念館
京都大学文学研究科
ユーラシア文化研究センターなんですと。。
閉まってましたが〜
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近くの気になる御門
※近くの稲荷社
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皇紀2600年記念
(昭和15年)
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正一位稲荷大明神
※アパートも〜
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旧村の面影は
分かりませんでした。
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路地も〜
※旧西賀茂村
榿ノ木町の公園
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公園から舟山
※大宮小学校(明治5年創立)に併設されている
大宮保育園
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大宮交番
※脇の神光院さん
石畳(市電のものでしょうか?)
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石燈籠
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神光院(じんこういん)は、京都市北区にある真言宗系の単立寺院である。
山号は放光山。本尊は弘法大師(空海)像で、「厄除け大師」として信仰されている。東寺(教王護国寺)、
仁和寺と並ぶ京都三大弘法として有名であり、地元では「西賀茂の弘法さん」の愛称で親しまれる。
毎年7月下旬には、空海がキュウリに疫病を封じて病気平癒を祈願したことにちなみ、
厄病除けの祈祷「きゅうり封じ」(きうり加持)が行われる。
静かな境内を舞台に、『銭形平次』や『御家人斬九郎』、『暴れん坊将軍』を始めとする、
時代劇の撮影がたびたび行われてきた。
四季を通して多様な花木が境内に咲くことでも知られる。
特に12月前後に境内に咲く、白い八重のサザンカは、当院にのみ存在する珍しい品種である。
(Wikipediaより)
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厄除弘法大師道碑
1217年(建保5年)、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の神職松下能久が、「霊光の照らした地に一宇を建立せよ」との
神託を受け、大和国から慶円を招いて寺を建立したという。
寺名はこの由緒にちなみ、「神光院」と名づけられた。
創建される前には、京都御所に奉納する瓦職人の宿に用いられており、「瓦屋寺」と呼ばれていた。
空海が42歳の時に、当院で九十日間の修行を行ったとされる。修行を終えて寺を去る際に、
境内の池に映る自らの姿を見て木像を彫り、厄除を祈願したといわれている。この木像は本堂に安置されている。
同時に彼が眼病治癒の祈祷をしていたことから、眼病に利益のある寺としても広く知られるようになった。
その後は密教の道場としても栄えたが、 天保年間(1830年 - 1843年)に堂宇を焼失している。
幕末の女流歌人で陶芸家の大田垣蓮月は、晩年の75歳から当院に隠棲していた。
境内には「蓮月尼旧栖之茶所」と刻まれた石碑とともに、茶室(蓮月庵)が残されている。
蓮月隠棲中の明治初期に、廃仏毀釈運動を受けて一旦は廃寺となったが、
蓮月没後の1878年(明治11年)に僧侶、和田月心により再興された。
(Wikipediaより)
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畑から舟山望んで〜
此処も将来宅地化されるんでしょうか?
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