
山際の御家
※小さな祠も〜
やすらい祭りとか
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土地改良区の
余裕?隙間?に公園
※山際の背の高い塀と石垣石材
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やすらい堂
やすらい祭が有るんですね。
上賀茂神社の社領地(岡本郷)
5月15日、大田神社。国の重要無形民俗文化財に指定。
北区上賀茂岡本町・やすらい堂を午前11時に出発
→大田神社→上賀茂神社→藤ノ木社などを
巡行してやすらい堂に戻る。
その道中で「いんやすらいや…花や…」と歌い、赤熊をつけた鬼が踊るのが特徴。
(京都観光NaviHPより)
※普通の集会所と思ったました。
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愛染倉さん
※椿の花染めて〜
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大田神社サン
※天然記念物
大田の澤のかきつばた群落碑
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参道脇の公園
寝ぼけ馬君遊具
※中々ワイルドな滑り台
浮ドン如何?
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昭和14年銘
※注連縄飾りも
他地区とは違います。
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大田ノ沢は古代に深泥池と同様に沼地であったといわれ、
かつて京都盆地が湖であった頃の面影を残すものであるとして、
カキツバタ群落とともに、昭和14年(1939年)に国の天然記念物に指定された。
文治6年(1190年)には、『千載和歌集』の編者で著名な藤原俊成が、
紫一色に染まる様子を一図な恋心に例えて次の歌を詠んでいる。
神山や大田の沢のかきつばた
ふかきたのみは、いろのみゆらむ(藤原俊成)
(Wikipediaより)
大田の沢の
手入れ志納金を
お願いします。
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尾形光琳も見たんでしょうね〜
※
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参道〜
※社務所
京都市登録無形民俗文化財
大田神社の巫女神楽 - 昭和62年5月1日登録。
(Wikipediaより)
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拝殿舎正面
大田神社(おおたじんじゃ)は、京都府京都市北区上賀茂本山にある神社。
式内社で、現在は賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境外摂社(第三摂社)。
古くは「恩多社(おんたしゃ)」とも。
上賀茂神社の東約500メートルの地に鎮座する。天鈿女命(あめのうずめのみこと)
賀茂における最古の神社と伝わることから、長寿の信仰がある。
創建は不詳。賀茂県主(かものあがたぬし)が当地に移住する以前から
先住民によって祀られたといわれるが、明らかではない。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では山城国愛宕郡に「太田神社」
(写本によっては「大田神社」)と記載され、式内社に列している。
(Wikipediaより)
※檜皮葺屋根が〜
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境内摂社も檜皮葺
百大夫社 - 祭神:船玉神(ふなたまのかみ)
※鎮守社 - 祭神:大国主神(おおくにぬしのかみ)、
少彦名神(すくなひこなのかみ)
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境内摂社
※白鬚社 - 祭神:猿田彦命(さるたひこのみこと)
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拝殿内部より
※本殿舎屋根
流れ屋根が拝殿舎まで。。。
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大田の小径
境内後方には、「大田の小径」と呼ばれる全長約750mの散策路が延びる。
この散策路は、平成17年(2005年)に、
地域住民で構成する「上賀茂自治連合会」「上賀茂まちづくり委員会」ら
によって整備されたものである。
(Wikipediaより)
※猿に注意!
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神社背後の小山に、未舗装ながら整備された山道が続いている。
散策路の両脇にはロープが張られているほか、途中の数か所に標識が設けられ、迷うことなく散策できる。
北大路魯山人が愛したという山つつじが出迎える山道を進むと、展望箇所が設けられており、
好天時には京都タワーや伏見桃山城を遠望できる。
杉林を抜けて散策路を進むことで、岡本口(東側登り口、上賀茂岡本町地内)に至る。
「大田の小径」の案内板は、大田神社側は上賀茂神社宮司、岡本口側は京都市北区長による揮毫である。
(Wikipediaより)
自転車持ってはシンドそう〜
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本殿舎は木立で見え隠れ〜
※参道見返って〜
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境内脇の道
※
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谷の水を取り入れた
手水鉢
※鳥居外に
福徳社 - 祭神:福徳神
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石橋
鳥居前に架かる石橋右側下の水面から、小さな石が顔をのぞかせている。
この石は「蛇の枕」または「雨石」と呼ばれ、蛇が枕にしていたと伝える。
蛇は雨を降らせる生き物とされ、この蛇がいる枕のもとに行けば、
雨乞いができると考えられた。
儀礼は、この枕石を農具(鉄器)などで叩いて行われる。こうすることで、
枕を叩かれた蛇が怒って雨を降らせるという。
(Wikipediaより)
※自然石に
いのち沖
大田の江の
かきつばた
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花の季節に来たいですね。
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参道前の気になった御家
※家屋門に無言の
立ち入り禁止杭
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上賀茂の村中路を〜
※キョロキョロしながら〜
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神山方向〜
※軒の低い家屋
小さな虫籠窓
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竹の湯さん
新しいデザイン〜
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