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高架部 前には〜 ※叡山鉄道 宝ヶ池駅 |
出町柳側 ※あっ!ウォークイベントは 向こうに〜 |
敦賀街道 ※山ばな 平八茶屋 |
和食も世界遺産。。。 ※高野川 上流方向〜 |
下流方向〜 ※川辺の風景〜 |
前川に架かるMy橋 防護柵もなく心配ですが〜 地元の方は自転車でスイスイと〜 案外電柱が道路端の目印になってますね。 電柱地中化したら新たな目印が要るかも。。 ※石橋に石欄干が〜 既製品であったんでしょうか? |
松ヶ崎東山(虎の背山の景色から名付けたとか) 瓜生山から見えてた、 法の字山です。 松ヶ崎妙法 所在地:(妙)京都市左京区松ヶ崎西山、(法)京都市左京区松ヶ崎東山 山名:(妙)西山(135m)、(法)東山(186m)。 西山については万灯籠山、東山については大黒天山とも呼ばれる。 二山合わせて妙法山とも呼ばれる。 火床:(妙)103か所、(法)63か所 大きさ:(妙)最大100m弱、(法)最大80m弱 保存会:涌泉寺の(元)檀家による世襲。 二山二字であるが、一山一字として扱われる。 涌泉寺の寺伝によると、徳治2年(1307年)、 松ヶ崎の村民が日蓮宗に改宗したとき、日像が西山に「妙」の字を書き、 下鴨大妙寺の日良が東山に「法」の字を書いたという。 「妙」の字付近は、近くに京都市水道局松ヶ崎浄水場の配水池があるため、 一般人は立ち入り禁止になっている。 「法」では家ごとに担当の火床が決まっているが、 「妙」では火床の担当を町ごとに順繰りで交替する。 うち2基は浄水場の職員が担当する。 (Wikipediaより) ※前川から離れます。 |
燈篭の竿に有る 天野治兵衛名 昭和9年11月16日 京都市内日蓮宗信者の有力者天野治兵衛・岡本仁兵衛・西林吉右衛門ら 日蓮宗信徒連盟を結成、 この日岡崎公会堂で発会式と第1回総会を開催。 (京都府立総合資料館HPより) ※松ヶ崎大黒天碑 大正六年銘 |
扁額 大黒天 ※比叡山が近くに見えます。 |
白雲稲荷神社サン ※へぇ〜東松ヶ崎では、御神託により 井戸掘りと牛の飼育が禁止されていた… 上の参道では競馬も行われたとか〜 (看板より) |
階段上から見返って〜 |
階段上がったところに 拝殿〜 武者絵2枚ですが ※図柄は経年劣化で判らない〜 |
拝殿舎 (看板の御所から能楽殿を下賜され再建した:看板より) ※本殿舎 |
本殿舎前に 立砂 ※絵馬堂の〜 絵図のようですが判らない… |
妙円寺さん 都七福神の大黒天とか ※大きな本堂 法の字の真下です。 |
手水舎 ※境内の七福神像 |
絵馬堂 大黒様の小槌ですね。 ※喫茶 |
※木製灯篭 |
清酒 勝扇 京都の酒、伏見でしょうか? ※ |
桜の花が綺麗でしょうね。 ※大黒天堂 |
山門の注連縄 ※村中からの参道石段 |
法の字が見えるかと… ※ |
此処から登れるのでしょうが 立ち入り禁止です。 ※ここまで通ってきた場所が一望に〜 六階ビルと同じ高さ。 |
見返って〜 ※此処から妙の字も見えない。 向こうに見えるは船岡山〜 |
日蓮聖人像 前には〜 ※燈籠には 連山柄 (春日灯篭には鹿です) |
手水鉢 伏水銘 井戸は良かったの? |
山門から〜 大文字山も〜 ※此処も立ち入り禁止 |
松ヶ崎立正会 妙法送り火保存会 入山禁止 ※歴代の お上人が見てますよ! |
ん?遊園地上の道碑 地図で見たら宝ヶ池遊園地への 山越しの道があるんでしょうね。 でも、入山禁止! |
大礼記念 参道修理碑 |
旧松ヶ崎村中へ〜 |
ん?何?? ※堀町経由水増量用堰板 松ヶ崎消防分団所有の板 |
西へ〜 ※昔ながらの農村路地 |
トイレかな。。 ※煙抜き家屋 |
此処にも〜 ※細い路地を曲がって 曲がって〜 |
ありゃ〜先程の村中からの参道〜 ※東松ヶ崎の生活用水井戸跡 唯一の井戸だったとか〜 |
山端の水路は〜 この先いけません。 水は西側へ流れて行きます。 ※引き返します。 |
曲がって来た路地。。 |
先は昔の山端の東西の道 |