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少し早い目の春霞(PM2.5?)。
京都の春間近!東山から北山へ〜
寺院と神社と旧村を一人でブラリ〜
水源地・信仰と五山の送り火の山・御土居に力石…
京都の原風景を想いながら〜

狸谷不動尊 05

ミニランちゃんと、ソロポタなんですが〜
UFO先生の大学時代。
先生の足跡を探して…

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成28年03月05日
                                           UP日:平成28年03月15日
                                           

旧村の名残の
家屋を横目に〜

※流石に見られる御家は
綺麗にされてます。

金福寺
此処からも行けますと〜

狸谷山
バス停ではありません。

※名物鳩もちですと…

八大神社サン
前に

※詩仙堂さん
浮ドンは此処のお庭が良いと〜
初めてしし脅しを石川丈山が、この庭園に設けたとか〜
石川 丈山(いしかわ じょうざん、天正11年(1583年) - 寛文12年5月23日(1672年6月18日))は、
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人。
もとは武士で大坂の陣後、牢人。一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。
江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。
幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されており、煎茶の祖ともいわれる。
名は初め重之、後に凹、通称は初め三彌、後に嘉右衛門、字は丈山、号は六六山人、四明山人、
凹凸?、詩仙堂、大拙、烏麟、山木、山村、藪里、東溪、三足など。
中略
鷹が峰の本阿弥光悦、八幡の松花堂昭乗と共に、江戸幕府の意を受けて京中の監視をしていたとの説もある。
小堀遠州など当時の文化人とも広く交流したと伝えられるが、中でも親しく交わったのが、
松花堂昭乗と佐川田喜六であり、京田辺市の一休寺(酬恩庵)の庭園は3人の合作によるとの伝えが遺されている。
(Wikipediaより)

布袋様が呼んでました。。

布袋(ほてい)は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧。
水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。
日本では七福神の一柱として信仰されている。
日本では鎌倉時代に禅画の題材として布袋が受容された。
庶民には福の神の一種として信仰を集め、室町時代後期に成立した七福神に組み入れられた。
真言三宝宗大本山清荒神清澄寺では三宝荒神の眷属とされる。
肥満体の布袋は広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、
所持品である袋は「堪忍袋」とも見なされるようになった。

(Wikipediaより)

ユーモラスな御顔
いしいひさいち氏の漫画思い出します。

※野仏庵さん
屋門も茅葺き

狛犬ではなく
羊さん



坂の途中の
お不動様

※手水鉢
脇の像は何方でしょうか?

扁額

※怖い顔した
不動尊

不動尊前から〜

※大きな草鞋
前には〜
わらじ祭が
関係ないですかね。。。

八大神社裏道
結界ですかね。

※見上げるばかりの石垣
端っこは段がないのですが…
坂がきついのです。
前輪が浮き上がって登れません。
押してます。

明るい空間が〜

※駐車場

多くの玉垣が〜

※修行の滝があるんですね。
前には

多くの玉垣〜

※祈祷殿

狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)は、
京都市左京区一乗寺にある真言宗修験道大本山の仏教寺院。
本尊は不動明王、開基(創立者)は木食正禅である。狸谷不動院ともいう。
平安時代、桓武天皇が都の北東に位置するこの場所に鬼門封じとして、
不動尊を安置したのが始まりという。
江戸時代、宮本武蔵が吉岡一門との決闘を前に、滝行を修したといわれる。
享保3年(1718年)、木食正禅によって創建された。
(Wikipediaより)


駐車場から法の字が見えます。
其の向こうには鷹ヶ峰〜



祈祷殿
祈祷の僧の声が
響き渡っていました。
エエ声!

※敬天愛人

津つ(?)ぬき橋?
手水鉢

※玉垣に見た名も〜

多くの玉垣が
奥まで続いています。

※ん?井戸?

地蔵尊でした。

※ありがたや
たぬきのたにのじぞうそん
いえのよつぎをまもるみほとけ
紀元2600年銘

小さな狸が〜

※2輪用?
駐輪場??

狸谷不動院

※信楽狸がお出迎え〜

昭和60年セントラルリーグ優勝
日本シリーズ優勝記念
阪神タイガース・吉田義男
ゲン担いだんでしょうか?

※故 小林 繁
階段登りお百度参拝記念碑
江川問題で阪神に…
明石家さんま氏のモノマネを
思い出しながら〜

有名人は〜
中村錦之助
中村賀津雄

※坂東蓑助(大和屋)
高台寺前 文の助茶屋
今は昔、慶長の頃、豊臣秀吉奥方 北政所が秀吉の菩提を弔うため高台寺を建て高台院湖月尼となり、
尼の好む酒として白酒と共に女人の好む処殿中より尼酒が甘酒になり看板も"お多福″になったと云います。
文の助茶屋は、秀吉の守本尊、三面大黒天の茶所にて明治末期、人情ばなしの落語曽呂利新左衛門の門弟
二代目桂文之助が境内に長年愛用した扇子を納めた扇塚を建てたのが所以で甘酒茶屋を始め 
高座引退後風流三昧に その晩年を送りました其後甘酒茶屋も人呼びで「文の助茶屋」となり 
東山界隈を散策する旅人で賑わいました。
(文の助茶屋HPより)



扁額

※赤い鳥居が〜

白龍弁財天さん

※見えない…

木喰上人が修行の折に祈ったとか〜
オン ソラ ソバティ エイ ソワカ
(7度唱える)

※石段横に
七福神が祀られていました〜

この階段を百日通ったのですかね〜
小林投手

※まだ先に〜

お大師さん像に
草鞋キーホルダー沢山!


※弘法大師 奉安所



※あれれ〜
まだ上…

やっとこ到着!

※石材多いんですわ
唖然と〜
 
本堂は
清水の舞台にも似て〜

手水舎

※多くの玉垣

本堂正面

※不動明王

宮本武蔵修業の瀧



不動明王

※水の口不動尊

水の口不動尊碑

※瀧の中に不動尊

力石では無いでしょうね。
不動の信心
あらば
御蔭なきぞ
ふしぎ


女厄坂

※役行者

錫杖鳴らして下さい。

※インドの神様?

仏教の原点


東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…
世界の人々が平和に暮らせますように〜
今年こそエエ年に!

マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方
お休み〜残念!
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