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この日は、薄曇りと言うか 春霞みが朝から〜 花粉症の方には辛い一日かも? 交野山横目に〜 ※第二名神高速道路建設中〜 |
竹田駅横目に〜 ※東福寺道 |
今熊野近く ※智積院築地 |
八坂神社サン ※此処から6輪ソロポタです〜 |
聖護院さん ※さてと… 東山方向へ〜 |
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院。 山号は紫雲山。 本尊は阿弥陀如来。通称寺名をくろ谷さん(くろだにさん)と呼ぶ。 知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つであり、 また京都四箇本山(他に知恩院、知恩寺、清浄華院)の一つである。 初めは念仏道場として利用されていた。 (Wikipediaより) ※ベッピンにゃんこ〜 |
京都守護職本陣:金戒光明寺は徳川初期に同じ浄土宗の知恩院とともに城郭構造に改められていた。 会津藩主松平容保が幕末の文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に京都守護職に就任すると、 京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。 会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、 守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き治安の維持に当たらせた。 慶応3年12月9日(1868年1月3日)、この年の10月に行われた大政奉還後の王政復古の大号令によって 薩摩藩・長州藩が京都市中の支配権を確立したため、京都守護職は設置後6年をもって廃止された。 ここ黒谷の地で、鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士の菩提を弔っている。 なお、このころ中間として出入りしていた侠客が会津小鉄こと上坂仙吉である。 (Wikipediaより) ※この路地は 前に〜 |
明治期から有った前面の道 ※東山の知恩院さん |
左:後一條天皇陵 陽成天皇陵参道 ※明治戊辰戦役90年祭記念碑 |
山門(京都府指定文化財) 堂々と〜 ※ |
会津墓地参道案内〜 ※常光院さん 煙抜き家屋が好きです! |
敷石は市電の再利用とか〜 ※常光院さん 謡曲開祖 八つ橋寺碑 |
蓮池に架かる石橋 階段上には日本三文殊随一文殊塔 豊永堅斎が二代将軍秀忠公追善菩提のために建立したとか。 (看板より) ※極楽橋とか〜 熊谷直実が此の地に庵を結んでいた 法然上人を尋ね出家を決意した地とか。 前には〜 |
堀川四条橋親柱 ※石畳も 市電の名残 |
お江与の御台墓 春日局が徳川二代将軍秀忠の正室お江与の御台墓を 建立し参詣するために極楽橋を寄進た。 (看板より) ※多くの方々が眠っています。 |
五重記念道路改修碑 三重塔では? ※会津墓地 法然上人 しうん石 皆、階段上です。 前には〜 |
法事だそうで〜 エエお天気で良かったですね〜と お声掛けさせていただいたら、 へぇ、オオキニと〜 ※春霞 梅も最後の見頃かな… |
本堂(御影堂) 大きいですよ〜 ※清和殿に庫裡、玄関 |
経堂 ※熊谷直実鎧掛けの松 |
山門 ※鐘楼 このロケーションなら よく響くでしょうね。 |
周りの伽藍より背の高い〜 ※手水鉢 |
栗原の岡の中腹〜 標高70m程です。 ※遠く京都タワーも〜 本日のランドマークには成れませんでした。 |
御影堂正面から〜 昭和九年に火災で消失し 昭和一九年に天沼俊一博士による設計で 入母屋造り本瓦、正面に向拝 (新撰京都名所図会より) ※清和殿の煙抜き |
御影堂の木鼻・蟇股 終戦間近に建てられたんですか… ※敲き漆喰も 白木なので油拭きしたら 綺麗になるでしょうね〜 |
西翁院さんに続く石畳〜 ※長安院さんの屋根も〜 |
これは市電敷石とは関係無さそう〜? ※ |
すずしくも 野山にみつる 念仏かな(去来) 地蔵様だけでなく観音様も〜 ※小さな拘り 石橋の欄干 |
永運院さん 南門 ※脇の地蔵堂 |
内部は地蔵様が〜 ※月影の至らぬ 里はなけれども 眺むる人の心にぞ住む 法然上人 御歌 我がページも そうなりたいな… |
柔らかな線で〜 ※見返れば〜 |
西翁院さん 茶室『反古庵』が有名とか。 ※境内石燈籠竿には地蔵様が 織部石燈籠ですね。 |
日露戦没霊牌所碑 ※昭和16年 戦六会有志者 |
潜りも〜 ※庸軒遺室 西翁院銘 |
如来様 ※石は何処から? |
明治四〇年銘 牧野定助銘 |
東山も庭の一部に… ※石畳大好きです。 |
見返って〜 ※北門向かって〜 |
龍光院さん、顕岑院さん ※生活に適さない丘には 昔から墓地が多かったのか〜 空いてたから…?? |
ここにも墓地が〜 ※北門 あれ?この空き地は… |
マイバケツ ※黒谷北門 |
向こうの丘は吉田山 |