この日、古川を何度も渡って〜
※前から気になる松の木
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北側には集落の墓地が〜
※道路に面して
フェンスもなく…
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見返って〜
※ 大東亜戦争
供養塔
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北島墓地
※此処でも
欅?榎?椋?
大きく枝を張って〜
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街道松?
もう少し近くには、
何本か在ったような〜
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綺麗に改築された土蔵
※楠根神社
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北島の集落に入ろうとしたら〜
道路工事中〜
えっ?水路どうするの?
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田舟が通れるように
反橋に成っています。
※田舟が行来した
風景を見たかったなぁ〜
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道路拡幅で
蓋付き暗渠化するのでしょうか??
※あれれ〜
反対に
エエ時に来ましたかね。。
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地域性が無くなるなぁ〜
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大阪市内は大坂万博以来
問答無用で暗渠化しましたものね。
※こちらは残りそう〜
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周りから徘徊します。
※井路が縦横に〜
上は第二京阪高架
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第二京阪高架は
この辺りのランドマーク
※此処は記念すべき
inisie01ページ目の
撮影場所
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此処で鮒が居たんですわ。。
茨田の堤の完成後、低湿地が徐々に開拓され、鎌倉・室町時代にもなると
河内平野中央部の最も低湿な池沼地を除いて、
ほぼ現在見られる集落が成立していたと思われます。
江戸時代には古川の流れも定まり、京や大阪に近い立地の重要性から
市内の約8割以上が天領となり、直接江戸幕府の支配を受けました。
豊かな水郷農村として近世集落が形成され、
「段蔵」「バッタリ」などの人々の知恵と工夫が生み出されました。
江戸時代後期には菜種や木綿の栽培でも発展を遂げ、
蓮根栽培も活発になってきました。(門真市HPより)
※この桜の花が見たいなぁ〜
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2003年のページには
高架道は見られない。。
※この舟は有りましたね。
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二艘有ったのに〜
※北島村中へ〜
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北島自治会館
破風付きやん!
※水路も〜
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ん?
この場所は〜
※my橋と
煙抜き家屋も近くに〜
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田舟がアソコにも〜
楠と墓標〜
※ロケーションはGOOD!
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石の橋も〜
※個人の方の墓標ですね。
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今回私が、保全を求めているのは、北島自治会館を東側に入った所にある舟溜りと
「北島用悪水碑設置功労者の彰徳碑」から水路を北上した箇所であります。
同地域は、水郷の面影を残した貴重な所ですが、最近、
これまでに増して古い民家が建替えられたり、駐車場になったり、
建売住宅に変わるなど、ドンドンと昔ながらの景観が失われてきています。
以前は、先に述べた「舟溜り」には、湧き水があって沢蟹も生息していたそうです。
「北島用悪水碑設置功労者の彰徳碑(しょうとくひ)」には、
大水が出ると古川よりも水位が低く、いつまでたっても水が引かない状態を
解決する為に明治10年に今の村長にあたる戸長であった
浜田嘉作氏を先頭に窮状を訴え5年後にようやく樋門の改修が実現した事が
記述されています。
同碑は、戸長の功績を称え戸長宅の側に村民感謝の記念として
立てられたと門真町史に紹介されています。
尚、「悪水」とは、排水のことであります。
(日本共産党亀井あつし議員質問:門真市議会議員団HPより)
※やはり排水の問題は
昔から有ったんですね。
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明治18年
浜田家ではなく
個人の墓
記念碑ですね。
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直接にはお目に掛かれませんが
楠や土蔵が点在してます。
※古川との合流部には
水門が設備されています。
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