|
古川渡って〜 街道逸れて 叉行きたいところへ〜 ※段蔵の後ろ姿〜 |
綺麗な屋門 ※被さるような楠 |
逆光ゴメン! ※楠根神社裏 |
楠根神社裏 ※ |
堤跡は軽く蛇行して〜 ※ 「茨田堤」というのは、古事記・日本書紀に記述がみえる最古の堤防で、 5世紀ごろ淀川の洪水を防ぐため、渡来人などの技術を用いて築かれたようです。 宮野町には、延喜式内社の堤根神社が鎮座する堤防の跡が残っており、 これが現在地上に残る唯一の「茨田堤」跡と推定され、 昭和48年3月29日に大阪府の史跡「伝茨田堤」に指定され、 昭和58年5月2日に堤根神社の西側が史跡の追加指定を受けています。 (門真市HPより) |
前には見えなかった川面が見えていますが… ドブ状態ですね〜現代の悪水か? ※樋門跡 |
天正?(1593年) 大正?(1912年) う〜ん350年ほどの差… の文字が〜 ※使えそうですが〜 使わんでしょうね… |
風呂屋さんが有ったと思ったんですが〜 勘違い?? ※古事記や日本書紀の茨田堤は確認できなかったが、 鎌倉時代は確認できたそうです〜 |
式内社 堤根神社サン 同名は稗島にも〜 ※扁額 |
石燈籠土台に 横地村座中銘 ※河内湖周辺の水害を治めるため 1 2 3 仁徳天皇の命により茨田宿祢が旧淀川(古川)に 日本最古の堤防を築いたとか。。 江戸期には淀藩主 永井信濃守尚政により 菅原道真公を合祀させている。 |
正面より拝殿社 ※手水舎 |
摂社 稲荷社・蛭子社 ※拝殿社 |
文化期(1804〜1818) 狛犬 阿 ※吽 |
なにわ型 ※拝殿から見返って〜 |
永代常夜燈 |
絵馬掛け 瓢箪なんですね。 コロモコの断間(ころもこのたえま)の関係? ※本殿舎屋根 |
史跡茨田堤 顕彰碑 正篤 題 安岡 正篤(やすおか まさひろ)1898年(明治31年) - 1983年(昭和58年) 昭和20年8月15日の終戦の詔書(玉音放送)の草案に対して、加筆し原稿を完成させたとされる。 戦後にあっては、自民党政治の中で東洋宰相学、帝王学に立脚し、「実践的人物学」、「活きた人間学」を 元に多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番の位置にあった。 安岡を信奉し、師と仰いだとして知られる政治家には吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳など 多くの首相が挙げられる。 (Wikipediaより) ※堤向いて〜 遥拝所 何となく東向いて、伊勢神宮でしょうか? |
裏側の賛辞 ※玉垣建設記念碑 |
三宝神 宅神 日常生活の神様 ※ |
史跡『伝』茨田堤 ※巨椋池〜茨田池〜河内湖〜難波潟 白石様〜ご苦労様! 深野池や新開池は旧大和川? |
堤は 寝屋川市太間〜守口市高瀬付近まで 在ったとか〜 ※茨田宿祢は鶴見区に茨田地名も在ります。 1 2 |
梅の香が香る境内 散歩の方も〜 ※九頭大神 八幡大菩薩舎 |
梵字が書かれています。 ※ |
大きな楠は 京阪電車からも見えますし この地のランドマークです。 |