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梅満開!天満宮の多い地区。
枝切街道と旧村を一人でブラリ〜

黒原 08

ミニランちゃんと、ソロポタなんですが〜
イニシエの初めのページ01風景も見られました。
今思えば、このページの原点ですね。

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成28年02月21日
                                           UP日:平成28年02月25日
                                           

ランドマーク的なマンション

※旧村に入ります。

左が旧村
環濠でしょうか?

※焼き板はあるんですが
舟板は見られない。

重厚な家屋
立派な屋根が〜

※排水だけではないでしょうね。

石材も〜

※地蔵様?と思えば〜


乃加美(野神)


「のがみさん」(野神様・農神様)は、かつて、あちらこちらの村にまつられていました。
<黒原の野神さん>
野(農)神は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ったものですが、
黒原の野神は元々「賽(さい)の神」であったのが、後世に野神に変わったと考えられます。
「賽の神」は、「道祖神(どうそじん)」ともよばれますが、
道路にまつわる悪霊から旅人を守ったり、村に悪病が入るのを防ぐ神でした。
村から旅に出るとき、帰ったときに拝礼したといいます。この祠(ほこら)は、
かつて黒原の東北隅の村境にありましたが、先年この地に移されました。
(寝屋川市HPより)


お邪魔して〜
大きさは?

※大事に祀られています。

安住の地に成りますか?
地蔵様と混在しそう…

明るい縁側
ゆっくりお茶を飲みたいなぁ〜

※黒原城内町
クリークに出城か砦のようなものが
在ったのでしょうか??
ぐぐっても判らない。。。

正立寺さん



髭題目

すぐ:三井村本巖寺道(三井に現存)
右:黒原●●●●道
向きが変?
元は何処に有ったんでしょうか?

移設されたと思われます。



正立寺の梵鐘は、山門を入って左側(南側)の奥に建っている鐘楼につるされています。
鐘の大きさは、高さ125センチメートル、口径68センチメートルです。
鐘に刻まれている銘文によると、1707年(寳永4年)に河州(河内国)茨田郡黒原村(まったぐん くろはらむら)の
正立寺の鐘として鑄物師(鋳造職人)の岸本仁右衛門尉藤原寛敬(きしもとにえもんのじょう ふじわらのひろのり)に
よって鋳造されたことが分かります。
鐘に刻まれている銘文には、陽鋳(浮き彫りに鋳出されたもの)と陰刻(彫り込まれたもの)の両者が見られます。
池の間の各区には、撞座に対向するように左右一対の天人像が浮き彫りされています。
撞座に直行する縦帯には雲台をともなった日文(太陽)と月文が同様に鋳出されていて、
草の間の各区には牡丹唐草文が鋳出されています。
全体に装飾性に富み、鋳上がり・意匠ともに優れたみごとなものです。
鐘身には4個の小円孔が縦方向に並んでいますが、戦時中の兵器生産を目的とした金属供出のときに、
鐘の成分を分析するためにあけられたものです。
(寝屋川市HPより)


※大事にして下さい。
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…
世界の人々が平和に暮らせますように〜
今年こそエエ年に!

マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方
お休み〜残念!
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