|
ランドマーク的なマンション ※旧村に入ります。 |
左が旧村 環濠でしょうか? ※焼き板はあるんですが 舟板は見られない。 |
重厚な家屋 立派な屋根が〜 ※排水だけではないでしょうね。 |
石材も〜 ※地蔵様?と思えば〜 |
乃加美(野神) ※ 「のがみさん」(野神様・農神様)は、かつて、あちらこちらの村にまつられていました。 <黒原の野神さん> 野(農)神は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ったものですが、 黒原の野神は元々「賽(さい)の神」であったのが、後世に野神に変わったと考えられます。 「賽の神」は、「道祖神(どうそじん)」ともよばれますが、 道路にまつわる悪霊から旅人を守ったり、村に悪病が入るのを防ぐ神でした。 村から旅に出るとき、帰ったときに拝礼したといいます。この祠(ほこら)は、 かつて黒原の東北隅の村境にありましたが、先年この地に移されました。 (寝屋川市HPより) |
お邪魔して〜 大きさは? ※大事に祀られています。 |
安住の地に成りますか? 地蔵様と混在しそう… |
明るい縁側 ゆっくりお茶を飲みたいなぁ〜 ※黒原城内町 クリークに出城か砦のようなものが 在ったのでしょうか?? ぐぐっても判らない。。。 |
正立寺さん ※ |
髭題目 すぐ:三井村本巖寺道(三井に現存) 右:黒原●●●●道 向きが変? 元は何処に有ったんでしょうか? |
移設されたと思われます。 ※ |
正立寺の梵鐘は、山門を入って左側(南側)の奥に建っている鐘楼につるされています。 鐘の大きさは、高さ125センチメートル、口径68センチメートルです。 鐘に刻まれている銘文によると、1707年(寳永4年)に河州(河内国)茨田郡黒原村(まったぐん くろはらむら)の 正立寺の鐘として鑄物師(鋳造職人)の岸本仁右衛門尉藤原寛敬(きしもとにえもんのじょう ふじわらのひろのり)に よって鋳造されたことが分かります。 鐘に刻まれている銘文には、陽鋳(浮き彫りに鋳出されたもの)と陰刻(彫り込まれたもの)の両者が見られます。 池の間の各区には、撞座に対向するように左右一対の天人像が浮き彫りされています。 撞座に直行する縦帯には雲台をともなった日文(太陽)と月文が同様に鋳出されていて、 草の間の各区には牡丹唐草文が鋳出されています。 全体に装飾性に富み、鋳上がり・意匠ともに優れたみごとなものです。 鐘身には4個の小円孔が縦方向に並んでいますが、戦時中の兵器生産を目的とした金属供出のときに、 鐘の成分を分析するためにあけられたものです。 (寝屋川市HPより) ※大事にして下さい。 |