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淀川堤をブラリ〜 あの森が本日の初めの目的地。 ※鳥飼仁和寺大橋 この辺りにも渡舟が在ったとか。 下庄〜鳥飼下 淀川には両岸を結ぶ交通手段として、「渡し」が古くから各所にありましたが、 大正期の枚方大橋、昭和初期の鳥飼大橋の架橋で次々に姿を消していきました。 一番最後まで残っていたのが「仁和寺の渡し」でしたが、今ではその姿も見ることはできません。 かつて渡しは営業用で、人や馬や牛を渡すのに「渡し銭」が必要でした。 最後まで残っていた「仁和寺の渡し」は、大阪府の管轄になってからは無料になり、 「とりかい一号」「とりかい二号」の2隻が活躍したということです。 「仁和寺の渡し」には、慶長19年(1614)大阪冬の陣を前に、片桐且元(かたぎりかつもと)が 居城の摂津国茨木城に帰る道筋にあてたという話も残っています。 (寝屋川市HPより) |
桜の季節は綺麗ですよ〜 ※あの森目指して〜 |
有りました! ※裏門 |
気を取り直して表から〜 ※仁和寺氏神社サン (仁和寺天満宮) |
仁和寺は古くは「にわいじ」とよんだこともあったようです。 地名は京都仁和寺(にんなじ)の所領であったことに由来すると考えられます。 鎌倉時代初期に後鳥羽・後高倉院の生母であった 七条院が京都仁和寺殿を管領(寺務を司る権利を所有)したことによって、 仁和寺庄も七条院領となり、のち地頭職は室町院(暉子内親王)へ寄進され、 持明院統の所領になりました。 この時の『室町院御領目録』を見ると、 仁和寺庄は上仁和寺庄・下仁和寺庄の二つに分かれており、 以後上下ニ庄として史料にあらわれます。 南北朝時代に入って、持明院統の花園上皇は暦応5年(1342)に妙心寺を再興したとき、 上仁和寺庄と下仁和寺庄の地頭職を妙心寺に寄進しました。 しかし、応永6年(1399)大内義弘が将軍足利義満に謀反(むほん)を起こし(応永の乱)、 敗死した大内義弘と妙心寺の拙堂(せつどう)が親しかったために妙心寺領は室町幕府に没収され、 事実上の幕府御料所となり、いわゆる「河内十七カ所」の一部となっていきました。 (寝屋川市HPより) ※昭和44年改築記念碑 |
盃状穴は見られない 石燈籠 ※ |
扁額 ※明治100年記念 献灯楼が綺麗に〜 |
境内は綺麗に清掃されています。 ※梅満開! 飛梅でしょうか? |
宝暦期の手水舎 ※手水鉢 此処にも盃状穴は無い。 |
お百度石 ※拝殿社から見返れば〜 |
仁和寺集会所 ※仁和寺音頭 恋の花咲く淀川堤〜♪ しか地域性が無い… |
東光治 ひがし-みつはる 1895−1964 昭和時代の動物学者,郷土史家。 明治28年7月10日生まれ。相愛女子専門学校,大阪経済大などの教授をつとめる。 「枚方(ひらかた)市史」「寝屋川市誌」「守口市史」などの編集に従事した。 昭和39年6月20日死去。68歳。大阪出身。東京帝大卒。著作に「万葉動物考」など。 (コトバンクより) 昭和18年に佐太神社からの、神社復興に尽力されたとか。 ※戦没者慰霊碑 出征されたんでしょうか? |
天満宮 撫で牛 ※大事にしてよ!と〜 |
拝殿社正面から ※社務所と思えば 集会所二号館 |
寺院のような 逆立ち獅子 ※ |
願掛けの道 裏の本殿舎巡って〜 ※撫で牛U |
元々、白山権現だったのを 男山八幡宮の所領となり、 その後、領主永井氏の勧めで 菅原道真公をお祀りし天満宮に成った。 昭和62年に不慮の災いに遭われたが 平成元年に再建されたとか。 ※絵馬掛け |
債権記念碑 ※モルタル本殿舎 火の用心の立て看板が… |
境内には 大きな楠が目に付きます。 ※ |
6本が保存樹とか〜 ※旧神殿跡碑 この場所に火災前は 在ったのでしょうか? |
旧本殿舎の 少し目の寄った狛犬 阿 ※吽 |
変形なにわ型 ※裏口 傘の損傷が見られます。 |
モチーフは鉢かつぎ姫 奥方が十三歳になる姫の頭に身のまわりの品々を乗せ、黒い木鉢をかぶせておいて先立った。 後添いが来て、子が生まれると姫の告げ口をしたので、殿様は姫を追い出す。 姫は川へ身投げするが鉢のおかげで沈まず、船頭に岸へ押しやられて死ぬこともできない。 村人たちに「鉢かつぎ姫」と呼ばれて別の殿様の邸前で泣いていると、家来に引き入れられる。 優しい殿様がわけを聞いて、取れぬ鉢はそのままで飯炊きにやとう。 四人いる息子の末弟が独身で、夜の勉強の後、風呂で姫に背中を流してもらい、 汚れの落ちた手を見、美声を聞いて嫁にと所望する。 身分違いの組み合わせに不同意の親は、乳母の発案で嫁くらべをする。 姫が逃げ出したのを末弟が追い、もみあって鉢が落ち、中の宝物と美しい顔が現れる。 くらべの当日、三人の兄嫁につづいて現れた姫は鉢から出た宝飾と天性の美貌とで他を圧倒する。 兄嫁たちが音楽の腕前をくらべると、六段の調べを見事に弾き親たちにも望まれて末弟と結婚し、 立派な奥様になって幸せに暮らした。(寝屋川市HPより) |