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いつもの路地通って〜 ※関目神社サン 横目に〜 |
城北運河渡って〜 ※脇の地蔵様 |
大宮神社サンも 横目に〜 ※錦水湯サンも〜 この日はテストで 単焦点レンズを使用しました。 スカッと写ってますね。 |
大宮中学校横の 旧淀川堤跡 (歩道線の盛上がりが分かりますか?) ※OITAC (大阪工業大学自動車部) 壊しましたか… |
豊里大橋 このグラウンドでは 20年間ほど草野球しましたわ。。 ※平太の渡が在ったんですよ。 大阪万博前に渡しに乗って 豊里大橋の建設を、下から眺めた思い出も〜 |
平太の渡し跡碑 ※ |
平田の渡しは延宝4年(1676)頃に開かれた。 大坂町奉行から認可を受けて、手広く渡船業を営んだ 土豪沢田佐平太の名からとったものではないかと言われているが、 当時の渡しは、西成郡豊里村大字天王寺荘字平田と 東成郡古市村大字今市を結んでいたので、この地名からきたとも考えられる。 この地は丹波地方や大和地方への交通の要地で、 淀川を上下する川船を改める番所があり、淀川両岸は渡船で結ばれていた。 この渡しは、明治の新淀川開削工事によって、 明治37年以降は豊里村内の飛び地を結ぶ村営渡船場(請負制)として存続し、 大正14年に豊里村が大阪市に編入されたのに伴い市に引き継がれ、昭和23年4月には直営となった。 しかし、同45年3月、豊里大橋の開通により300年に及ぶ歴史を閉じることになった。 (大阪市HPより) ※昭和49年銘 十津川産の自然石を使ったとか〜 |
広い河川敷風景も好きです。 蒸気船か三十石船が見えたような〜 ※ボーイスカウトの大会? |
まだ桜は早いですね。 ※五箇樋跡碑 御野立所石柱 |
八雲から ※大桐向けての 高圧電線 |
あの森は? 八雲神社サン |
八雲神社サン ※クレーン車二台使って、高枝伐採中。 神社境内保全も大変ですね〜 |
この辺りにも 大庭8番〜対岸の一津屋に 昔は渡舟が在ったとか〜 (〜1935年頃) ※開通時には 有料橋だった鳥飼大橋〜 昔、日通で働いていた ワンコ時代の散歩仲間の方が話されてました。 |
守口JCT 鳥飼大橋も改築予定と聞きましたが〜 ※新橋梁 土台は工事中〜 |