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西名阪道の高架を潜って〜 東安堵に〜 ※横目で〜 |
宮島栄太郎 みやじま-えいたろう顕彰碑 1842−1905 幕末-明治時代の果樹園芸家。 天保(てんぽう)13年9月4日生まれ。 明治38年3月11日死去。64歳。 生家は大和東安堵(あんど)村(奈良県安堵町)の農家。 水田の一部を畑地にして梨を栽培する。 各地から苗をもとめて品種改良につとめ、早生(わせ)赤種「水熊」の栽培に成功、 安堵は大和梨の主産地として知られるようになった。 追記:安堵梨は、太平洋戦争時に途絶えてしまったとか。 (デジタル版 日本人名大辞典より) 昔の地図にも墓碑として表示されています。 |
ググッたら〜 こちらは関取顕彰碑だそうです。 (安堵観光ボランティアの会HPより) 文政期 ※地蔵様 |
集落の東の外れ? ※土蔵 |
昔の地図で見たら 此処からが村中〜 ※ |
蔵之内酒店 春鹿・雪園(安川酒造) ※春鹿(今西酒造)・先發(稲田醸造所/櫻井)・ 男魂(岡村吟醸)・生長(上田酒造)・白牡丹(ググッたら摂津酒造) 昔から奈良の酒は、名物だったんですよね。 |
東安堵は『田』型路地 見通しは少ないです。 ※ |
柿の木並木 ※アオサギが〜 |
此処を電車が走っていたと 後程判りました。 ※田起こしの時期? |
突き当りは〜 ※安堵町歴史民俗資料館 (今村家住宅) |