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石上神社サン 鳥居と変額 神域です、下乗して押して進みます。 ※ |
無事到着〜 ※ニワトリは石上神宮の一番の人気者です。現在約30羽が参道をはじめ境内の各所にいます。 長鳴鶏(ながなきどり)の一種の東天紅(とうてんこう:高知県産・天然記念物)、 烏骨鶏(うこっけい:天然記念物)、採卵用種のレグホン・ミノルカなどが棲んでいます。 今から40年程前に奉納され、以後時々の奉納や自然繁殖、 時にはイタチ、タヌキ、テンなどの小動物による被害を受け、 羽数は増減しますが、大きく変ることはありません。 (石上神宮HPより) |
楼門 HPによれば 棟木に記されている墨書によると、 鎌倉時代末期、第96代後醍醐(ごだいご)天皇の文保2年(1318) に建立されたことが知られ、重要文化財に指定されています。 二重の正面に掲げてある木額の「萬古猶新(ばんこゆうしん)」の字は、 明治・大正の元老として有名な山縣有朋(やまがたありとも)の筆によるものです。 明治期の廃仏毀釈時には 鐘楼を外して売ってしまったとか。 無茶しますなぁ〜 |
回廊には書初めの展覧会 おお〜桧皮葺の燈篭屋根 ※拝殿前の斎庭を取り囲むように建てられています。連子窓がついており、縁が黄色に彩色され、 四角の窓枠は緑色となり、縦に棒(連子子―れんじこ)が付けられています。 現在の廻廊は、昭和7年に建てられました。 (石上神宮HPより) |
桧皮葺拝殿舎 立派・圧巻! 当神宮への御崇敬が厚かった第72代白河天皇が、当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)のために、 永保元年(1081)に宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えられています。 建築様式の区分では鎌倉時代初期の建立と考えられます。 いずれにしても拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定されています。 なお、文明2年修復、貞享元年上葺、享保18年修補、元文5年上葺、寛政10年修復、 安政6年屋根替、計6枚の棟札が現存しています。 (石上神宮HPより) ※本殿舎の屋根もも見えます。 |
ハイポーズ! ※ |
石上神宮の御神体である神剣「?霊(ふつのみたま)」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があったため、 明治7年8月に当時の大宮司 菅政友(かんまさとも)が官許を得て調査したところ、 多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「?霊」が顕現され、伝承が正しかったことが証明されました。 その後、明治43年から大正2年にかけて神剣「?霊」を奉安するために本殿を建立し、この折に禁足地を北側に拡張、 そして当時拝殿西隣にあった神庫(ほくら)を禁足地内の南西の隅に移築して、現在の状態に整えられました。 神剣「?霊」が顕現された地点は本殿と拝殿との間で、現在大きな石を置いて標示してあります。 (石上神宮HPより) ※拝殿舎での御祓いを待っています。 |
楼門 昔の職人のニヤリが〜 ※ |
鎧櫃 松材製 ※竜吐水 内山永久寺は奈良県天理市杣之内町にかつて存在した寺院である。 興福寺との関係が深く、かつては多くの伽藍を備え、大和国でも有数の大寺院であったが、 廃仏毀釈の被害により明治時代初期に廃寺となった。 寺跡は石上神宮の南方、山の辺の道沿いにあり、かつての浄土式庭園の跡である池が残る。 (Wikipediaより) |
明治期以前の物ですね。 動きますかね? |
回廊 エアコン入ってますね。。 ※沢山の方々が御祓いを 待たれていました。 |
順番来ましたで!と〜 ※御祈祷済んで〜 足しびれたと… |
北大阪サイクリングクラブ 今回のホストクラブの面々 お疲れ様でした〜感謝です!! ※ |
ドローンはエチケット守って! ※手水鉢 |
東天紅 ※奉納牛 天満宮が在るのでしょうか? |
来年の年賀状に使えますかね?? ※ |
参集殿 ※此処でOCAのイベントは終了です。 |