topページへ戻る コンテンツ メニューへ戻る 親爺紹介 リンクへ 一言BBSへ

初春の京都を歩きポタ 
JR桂川駅から東西寺へ〜
西国街道も天神さんも・・・

上久世(蔵王堂) 01

昨年からの目標はフルサイズ!
中々時間が取れなくて、メンバーさん達とは・・・
穏やかな天候のもと、家内と新春早々歩きぽた〜
で、自転車は??〜〜汗

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成28年01月03日
                                           UP日:平成28年01月11日

JR快速で桂川駅到着

※自衛隊桂駐屯地が隣接してます。
昭和29年開設だとか…

平成20年に開設された新駅だとか〜

※仮の駅舎名は桂駅だったとか〜

井路は河岸段丘のように
整備されています。

※駅から東へ〜
本日、初めての稲荷社

大神宮社・稲荷社由来記
七本松町(小字?)
google地図で見たら見当たりません〜

※二座祀られて〜

常光寺さん

※エノキのある広場〜

上久世集会所です。

※歴史の証人ですね。

会館は昭和45年
綾戸国中神社からの寄贈とか。
万博の都市か〜
この地区のキーワードですね…
(謎解きは後ほど〜)

※愛宕山燈籠も〜

座って電話する?
違うでしょうなぁ

※医院さん横目で〜

参道の向こうの森が呼んでいます。

※綺麗な生け垣

家紋・名前入りの飾り瓦

※鳥居と参道が見えました。

昔ながらの無垢の四足鳥居

※見返れば〜

蔵王堂光福寺
京都7つの森の1つ
蔵王の森とか〜

創建、変遷の詳細不明。
平安時代、955年、第62代・村上天皇の勅願寺として創建されたという。
平安京の西南、裏鬼門の地に当たり、都を鎮護する役割があった。
開基は、浄蔵貴所(じょうぞう きしょ)という。霊告により蔵王権現をこの地に遷したという。
室町時代、少なくとも1352年、真言宗の東寺(教王護国寺)の支配下にあった。
近世(安土・桃山時代-江戸時代)以降、天台宗の三鈷寺の末寺になる。
近代、四宗兼学より、西山浄土宗に改めた。
現代、1978年、廃れていた洛西三十三所観音霊場めぐりが再興された。

平安時代の僧・浄蔵貴所(じょうじょうきしょ、887-946)。
比叡山の呪術憎、法観寺の住職、雲居寺(うごじでら)の僧ともいう。
八坂庚申堂(金剛寺)を建立したという。
948年、五重塔が西に傾いた際には、験力を持つという東隣の雲居寺(うごじでら)の
僧・浄蔵貴所の加持により元に戻したという伝承がある。(『元亨釈意』)。
952年、浄蔵の加持祈祷後、子の刻(午前零時)、乾(北西)からの微風により
塔と宝鉾が動き、唸り、大地が揺らぎ、元に戻ったという。(『大法師浄蔵伝』)。
寺に入った賊十数人を大声で一喝し失神させ、その罪を諭したという。
浄蔵については、堀川にかかる一条戻橋の名の由来に関わりがある。
また、祇園祭の山鉾・山伏山の人形は浄蔵がモデルといわれている。

伝承 創建にまつわる伝承がある。
平安時代、955年、浄蔵貴所は、吉野山大峰山金御嶽の岩屋で密法の修行を終え都へ帰る際に、
蔵王権現が現れた。
権現は、自らを連れて帰るようにと乞い、永く衆生を守護するという。
浄蔵貴所は権現を肩にかけ背負うと、たちまちにして木像と化したという。
浄蔵貴所は、桂川の畔で持っていた鉢を水に落としてしまう。
鉢は独りでに川を遡り、北に向い岸で止まった。
その地が現在の蔵王堂の東の川だったという。
その地には円い光が輝いており、近づくと弁財天女の霊場だった。
背負ってきた蔵王神像も石のように動かなかった。
夜、西に丈六のナギが生えたという。明天老翁が現れ、「弁財天医王善逝(ぜんせい)」と唱えて拝した。
翁は、この地が医王弁財天女の影向(神仏が仮の姿をとって現れる)地という。
このため浄蔵貴所は堂宇を建て、霊像を安置し本尊としたという。(『都名所図会』)

(京都市HPより)

参道脇のモチノキ

※100m程の参道〜

此処にもモチノキ

※木肌には樹液採取痕〜

鳥居付き山門
明治期の神仏分離と廃仏毀釈は
大丈夫だったのでしょうか?
参道燈籠は家屋の形

※阿吽像も設置されています。
医王山扁額も〜



※吽

境内は神社のような…

※地蔵様

此処にも家屋型燈籠
後ろは地蔵堂

※大きな楠が
森を形作っています。

市指定保存樹だとか〜

※手水舎

三本の大きな楠

※蔵王堂正面

大聖不動明王

※薬師堂

大聖不動明王

※ケヤキが青空に手を広げて〜

御参り〜

※本堂から東〜

境内見返って〜

※奥には子守勝手社・子守大明神

福宝弁財天女

※檜皮葺です。

庭園の紅葉が残っていました。

※拝殿社正面と境内

社紋入りの家屋型燈籠
盃状穴は見られませんでしたわ。

※歴史の証人
木製鳥居

参道脇には白壁土蔵も〜


東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…今年こそエエ年に!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方
お休み〜残念!
ページトップに戻る
01 02 03 04
05 06 07 08
09 10 11

怪しい親爺のポタメニューに戻る
Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.