木の根橋
※旧柏原町役場
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ケヤキの木の根が太く成長し、川をまたいでいることから「木の根橋」と称されている。 樹齢1000年とも推定される巨木で、目通り幹径6m、樹高21m、枝張各25mを測る丹波市内では最大のケヤキである。 本樹の根の一本が太く成長し、直下を流れる奥村川をまたいで対岸の地下にもぐり込み、 長さ10mにも及ぶ自然の橋梁を形づくっていることから「木の根橋」とも称されている。 その形成過程については明らかではないが、本樹の縁辺は万寿元年(1024)に創建された柏原八幡神社の参道にもあたり、 奥村川に架けられていた土橋に沿って根が延びたものと考えるのが妥当なようである。 現在の奥村川は、織田信包(のぶかね)の開いた第一次城下町時代に堀割として利用するため拡幅され深くなったもので、 今、我々が目にする木の根橋をとりまく景観は、この時代に形づくられたと言っても過言ではない。 (丹波市公式観光情報サイトHPより)
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丹波市役所柏原支所
※この景色も好きです。
奥村川〜
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大欅
青空の思いっきり手を伸ばして〜
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八幡神社さんへ〜
※手水舎
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八幡社扁額
※丹波佐吉さんの
狛犬に会いに〜
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前にも〜
柏原八幡宮(1024年に京都の石清水八幡宮の別宮として丹波柏原に創建)の焼失した三重塔の再建のため、
京都与謝郡の中井役所(徳川幕府公認の宮大工集団)より中井道源とその弟が宮大工として派遣された。
塔は1615年から1619年にかけて完成したが、道元はそのまま柏原に居を構え、柏原中井家の祖となった。
徳川幕府が各地に多彩な建造物を建立する中で、4代目の言次君音から彫物師としての本格的な活動が始まり、
特に宝暦年間(18世紀中頃)における柏原八幡宮摂社、五社稲荷の竜を中心とする多彩な彫物はその嚆矢と評価される。
5代目正忠以降も「青竜軒」の屋号を名乗ってその技量を十二分に踏襲。
1815年に落雷により焼失した三重塔の再建に当たっては、一族の宮大工が建築を、正忠、正貞が彫物を担当した。
9代目貞胤まで6代に亘って続いた彫物の作品は、丹波(兵庫県と京都府を含む)初め、
丹後、但馬の北近畿一円及び播磨地方にまで及び、300近い神社、仏閣に残されている。
なお、10代目から京都府宮津市で印判業を営み、11代目中井光夫が健在。
権次一統の彫物は、躍動する竜に代表される。その特徴は
3本のがっちりしたかぎ爪で丸い宝珠を掴んでいる。
口を開けた時の舌がぐっと立ち上がっている。
目尻が赤く塗られたものが多い。
銅を用いた髭が螺旋状に巻き上がっている。
また木鼻(長い梁の両脇先端部)に唐獅子、獏、象などの霊獣を並べ、
そのほか周りに麒麟、十二支の動物、牡丹、謡曲や中国の神仙説話などの登場人物、動物などが多彩にちりばめられている。
(Wikipediaより)
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会えましたなぁと〜
まださん
※幾ら位で掘って貰えたんでしょうねと
馬鹿話しながら〜
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村上照信花押
※ウットリと〜
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エエ顔されてます〜
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今にも動きそうな〜
阿
※吽
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摂社厄除神社さん
扁額 子爵織田信親書
※木彫りも佐吉さんに負けないくらい見事です。
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三重塔
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やはり気に成りますね。
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本殿舎
猪象
※椿
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元治元年銘
※綺麗ですよね。
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やはり気に成ります。
※頑張れオッサン!
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檜皮葺本殿舎
裏から〜
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