檜皮葺の拝殿舎
社紋は菊の紋(前の天満宮さんに有ったのと同じ紋)
※鶴・玄武・鳳凰(朱雀?)の彫刻が綺麗!
中井権次正貞:柏原八幡宮(1024年に京都の石清水八幡宮の別宮として丹波柏原に創建)の焼失した三重塔の再建のため、
京都与謝郡の中井役所(徳川幕府公認の宮大工集団)より中井道源とその弟が宮大工として派遣された。
塔は1615年から1619年にかけて完成したが、道元はそのまま柏原に居を構え、柏原中井家の祖となった。
徳川幕府が各地に多彩な建造物を建立する中で、4代目の言次君音から彫物師としての本格的な活動が始まり、
特に宝暦年間(18世紀中頃)における柏原八幡宮摂社、五社稲荷の竜を中心とする多彩な彫物はその嚆矢と評価される。
5代目正忠以降も「青竜軒」の屋号を名乗ってその技量を十二分に踏襲。
1815年に落雷により焼失した三重塔の再建に当たっては、一族の宮大工が建築を、正忠、正貞が彫物を担当した。
9代目貞胤まで6代に亘って続いた彫物の作品は、丹波(兵庫県と京都府を含む)初め、
丹後、但馬の北近畿一円及び播磨地方にまで及び、300近い神社、仏閣に残されている。
なお、10代目から京都府宮津市で印判業を営み、11代目中井光夫が健在。
権次一統の彫物は、躍動する竜に代表される。その特徴は
3本のがっちりしたかぎ爪で丸い宝珠を掴んでいる。
口を開けた時の舌がぐっと立ち上がっている。
目尻が赤く塗られたものが多い。
銅を用いた髭が螺旋状に巻き上がっている。
また木鼻(長い梁の両脇先端部)に唐獅子、獏、象などの霊獣を並べ、
そのほか周りに麒麟、十二支の動物、牡丹、謡曲や中国の神仙説話などの登場人物、動物などが多彩にちりばめられている。
(Wikipediaより)
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鳳凰(朱雀?)・青竜
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鳥(極楽鳥?)
※鳥
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本殿舎
※色彩は剥げてますが〜
彩色したら綺麗でしょうね。
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側面彫刻
※二匹の龍が目に付きます。
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反対側も同じ意匠
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観光案内所でお聞きした話では
城下には彫刻や細工方の職人集団の町が在ったとか〜
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八幡宮本殿舎
社殿内狛犬
※境内摂社
厄除神社さん
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扁額
※可愛い狛犬
阿
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昭和期の物です。
※佐吉の物とは違う意匠
吽
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相里銘
※彫刻は、こちらも見事です。
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透かし彫りも〜
鳳凰
※中国人?
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ウットリします。
※一木造りでしょうか?
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境内摂社
※磐座でしょうか?
胎内模して?
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本殿舎の後ろにある三重塔
当宮は兵庫県丹波市柏原町(丹波国) 椎の木生い茂る八幡山山上に鎮座し、
平安時代後期の万寿元年(1024年)京都 石清水八幡宮の丹波国「柏原別宮」として創建され、
境内には三重塔や鐘楼など日本古来の祈りの形である「神仏習合」の名残を色濃く残す北近畿屈指の古社で、
古来より厄除け・災難除けの御神威が高く、多くの人々に崇敬され今日に至っております。
柏原八幡宮公式HPより
※鐘楼
この銅鐘には康応元年(1389)と天文12年(1542)の2つの年号が刻まれており、
天正年間に豊臣秀吉が大砲鋳造の為、郡内の鐘を柏原東奥藤ノ目に集めた際、
特に優れた物のため豊臣秀吉が改めて寄進したものです。
明治初めの神仏分離令の際、棄却の対象となったが免れて今日に至っています。
柏原八幡宮公式HPより
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厄除け開運の鐘だそうです。
私も三回撞きました。
※本堂との位置
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青葉隠れの
三重の塔を
鳴いて空ゆく時鳥
野口雨情の詩ですか
※由来記
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職人の遊び心が〜
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四方に施されています。
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近年修復彩色されています。
本殿舎もお願いしたいですね。
雁
※鶴
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鷺
※鴛
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