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山笑い、花笑い、膝笑う〜(泣)
前日は、OCAのクラブラリーで篠山へ〜
明くる日、城下町柏原に丹波佐吉の足跡探して…
柏原町・新町〜木の根橋(19)

今年の目標はフルサイズ!
久し振りのフルサイズ輪行〜
ソメイヨシノの花吹雪の中!
前日はソロで、柏原はカモさんとタンデムで…

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成27年04月12日
                                           UP日:平成27年04月15日

京口

※東関門は、この辺りでしょうか?

宿場町だったと思えば〜
妻入り家屋もあります。

※長屋門?



※妻入り家屋〜



※見返れば一直線。

時の太鼓櫓

※時打ちロボットだそうで〜
平成12年度に建てられたと。

藩邸・武家屋敷・藩士の登城を知らせた
太鼓が現存しているとか…

※まちかどギャラリー
上の段は織田はん

最上醤油屋さん

※工場でしょうか?

織田はん最中だそうで〜
吉田三友堂さん

駐車場の向こうに
残され蔵

※商家の名残〜

先は柏原八幡宮さん

※明治期には柏原県が在ったそうで〜
現:丹波市役所柏原支所

木の根橋

ケヤキの木の根が太く成長し、川をまたいでいることから「木の根橋」と称されている。
樹齢1000年とも推定される巨木で、目通り幹径6m、樹高21m、枝張各25mを測る丹波市内では最大のケヤキである。
本樹の根の一本が太く成長し、直下を流れる奥村川をまたいで対岸の地下にもぐり込み、
長さ10mにも及ぶ自然の橋梁を形づくっていることから「木の根橋」とも称されている。
その形成過程については明らかではないが、本樹の縁辺は万寿元年(1024)に創建された柏原八幡神社の参道にもあたり、
奥村川に架けられていた土橋に沿って根が延びたものと考えるのが妥当なようである。
現在の奥村川は、織田信包(のぶかね)の開いた第一次城下町時代に堀割として利用するため拡幅され深くなったもので、
今、我々が目にする木の根橋をとりまく景観は、この時代に形づくられたと言っても過言ではない。
(丹波市公式観光情報サイトHPより)


天然記念物ケヤキ



昭和45年3月指定とか

※つっかえ棒
樹医さんが、お世話されたとか〜

掘割兼ねた様な奥村川
上流部



木造庁舎

※柏の文字が〜

奥村川の畔に
織田神社さん





※奥村川
下流側


観光案内所

※大神宮

絵馬
大鳥居が在ったんですね。



御堂のような摂社

※奥村川挟んで
茅葺本殿舎
東日本大震災は5年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も20年…今年こそエエ年に!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?浮ドン、まださん、ねずみ君、福ちゃんも
お休み〜残念!
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