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地名の由来(城東区HPより)
今福という名前の由来も、この村の形成された時期も明確ではありませんが、
すでに鎌倉時代に村落が存在したことは栄照寺(今福南1-5-21)の古文書により明らかです。
「今」は新しいこと、「福」は荘園時代の田地・米蔵などの意味の封戸(ふこ)と読むことができます。
室町時代の荘園名の「久岐今福御厨(くきいまふくみくりや)」の一部が当町域にあたることに由来するともいわれています。
江戸時代には油などを運ぶ剣先舟の拠点の港でもあり、交通の要路でもあったことから商業が繁栄しました。
市町村制のはじまった明治22年(1889年)から鯰江村の大字名の一つでした。
今回も大阪東部路地へ〜
ねずみ君、まだまださんと!!!
※マウスポインターを置いてください。
撮影:平成25年10月12日
秋晴れの下 久し振りのポタです! ※近くの商店街を〜 |
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古典的なアーケード |
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アーケード抜けて真っすぐは 古堤街道〜 |
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今は埋め立てられている鯰江川に三郷橋(今福西1丁目)が架かっていました。 大正6年5月今福三卿橋閘門樋の工事のとき、地下5.5mの川底から 楠の大木をくりぬいた丸木舟(長さ約13.5m、幅約1.8m、深さ約1m)が発見されました。 この舟は、平安朝以前(約1000年前)のものと推定され、古代にこの地方が一面内海で 池や沼が点在していたころに航行していたものと推定されます。 その後、大阪城内に展示されていましたが、昭和20年の空襲で焼失しました。 (大阪市城東区HPより) 前ははっきり読めましたが〜 今は、読めない…残念。。。 ※街道を東へ〜 |
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この辺りも商店街の様相が〜 (アーケードは有りませんがね〜) ※城北川を渡ります。 |
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今福中橋から今福大橋方面(北側)望む ※南今福橋〜古堤橋方面(南側)望む |
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大峰山講中石碑 |
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鶴見からも大峰山に 行かれたんですね。 ※前にも〜1 2 ありゃ〜スーパーマーケットも 農家の屋根も無くなってる… |
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秋祭りの季節です。 川跡を取り込んで拡幅した道路 ※鶴見神社 祭り準備 |
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長屋も残っています。 ※地車はイベントと成って〜 捨て看板。。。 |
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西三荘都市下水路 もう少し北側(花博記念公園鶴見緑地)は、 歩道整備されています。 ※この辺りのランドマーク的な物 個人さん宅の楠なんですが〜 |
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地域の会館も好きなんですが〜 日赤は此処だけしか知りません… ※キョロキョロしながら〜 圓立寺さん |
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秋祭準備完了! 鳥居も気を付け! 寝屋川古堤に対し横堤をなす古川堤防洲沿いの地域であることに由来する。
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この辺りは祭りの結界は提灯なんですね。 河内は提灯 1 綱 1 ※路地の先は、諸口の八幡神社 町域が古川右岸の水郷地帯において輪中的集落をなしていて、 承応4年(1655)の徳庵川開削、宝永元年(1704)の大和川付替えにともなう新開地旧川床の新田開発、 享保9年(1724)の地内中茶屋の伏越樋築造による古川落口の付替えなどによって、 地域が門真井路・八ヶ井路沿いの古川と寝屋川の合流点の要衝に位置することになり、 水利のいろいろな口がこの地に集中するようになったことに由来する。 (鶴見区HP、地名の由来より) |
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此処は清掃中〜祭り準備は… 準備中ですかね? |
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慌ただしく〜 ※此処も地車〜 |
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古川が北方面から流れて来ています。 合流部です。 堤の横には枝切り街道も〜 1 2 ※徳庵揚水機場 4つの河川が合流します。 前にも |
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徳庵揚水機場 徳庵橋 ※橋の上から〜 寝屋川上流方向〜 この辺りで緩やかにS字蛇行しています。 |
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明治18年銘碑 大阪府に洪水が〜 明治18年(1885年) 台風強雨による淀川大洪水。枚方から下流の淀川南岸の堤防が次々に決壊し、 府下の北・中河内郡、東成郡 及び大阪市街の約1万5,270町歩(約1万5,100ha)が 最大13.3尺(約4m)浸水、 家屋流失1,631戸、同損壊1万5,491戸<淀川治水誌>の被害を出した。 (淀川河川事務所HPより) ※この後に新淀川建設…大橋房太郎さん |
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集会所 ※JR学研都市線(片町線)と 寝屋川との三角州的地点 |
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寝屋川の堤 ※先は中環 東へ〜 |