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大阪東線(城東貨物線) 野江駅工事中〜 ※いつものように横目で見ながら〜 |
桜並木を伐採して〜 ※ええ電車走らせてや〜 昔はD51が走ってました。 |
京橋片町口 集合〜 本日は、新顔の片倉シルク号 ※浮ドン登場〜 梅田から自走だそうです。 |
う〜ん 片倉シルク鑑定人 多分、60年代製 浮ドン所有の古片倉号より 少し新しく仕様が違うと… よ〜わからないのが結論です。 二台合わせて、絹自転車に持ち込みましょか? |
ホーク二段肩を検証 ※ヘッドバッチ止め穴検証中 |
1945年8月14日にB29約150機が大阪への空襲をおこなった。 米軍機は大阪陸軍造兵廠を狙い、約700トンの1トン爆弾を集中的に投下した。 国鉄京橋駅で夥しい犠牲が発生したことから、 この空襲は、「京橋駅空襲」ないしは「京橋空襲」とも呼ばれる。 大阪陸軍造兵廠への爆撃はこれまで失敗に終わっていたが、 この空襲で造兵廠は壊滅。また大坂城内にも着弾し、 二番櫓・三番櫓・坤櫓・伏見櫓・京橋口多聞櫓を焼失、 その他に石垣の一部が崩落するなどの被害が出た。 造兵廠の北東に位置する京橋駅周辺には同日13時頃、1トン爆弾4発が落下した。 京橋駅にはちょうど、城東線(現在の大阪環状線)の 上り列車・下り列車の2本が入線したところだった。 居合わせた多くの乗客が、高架上の城東線の影になる、地平上の片町線ホームに避難していた。 そこに1発の1トン爆弾が、城東線の高架を突き破って片町線ホームに落下して爆発し、 避難していた乗客らが爆弾の直撃を受けた。 この空襲での犠牲者は、身元の判明している人だけでも210名以上、 他に身元不明の犠牲者が500 - 600名以上いる(正確な犠牲者数は不明)とされている。 1955年から毎年8月14日に京橋駅南口で慰霊祭が行われている。 (Wikipediaより) ※ |
片町線踏切 高架道路工事も その内取り掛かるでしょうね。 ※踏切喧騒の 脇をすり抜けて〜 |
レンガ塀と煙突と… 耐火レンガ工場だったとか。 (此処も、砲兵工廠に昔納品してたとか) 今は電気炉で生産されてると思います。 ※気を付け! |
レンガ塀は大好きです! 1 2 3 (尼崎が多かったんですが〜) ※裏門になりますか〜 |
巨匠 ※撮影中〜 |
境界石 ※ |
正面は 運河向いて建ってます。 やはり、トラックより貨物船が 物流の主流だったんでしょうね。 脇のテーラーは 砲兵工廠定年時に オーダースーツを造られたと 伺ったことが在ります。 「来月、浮所長が退職されるにつけ イッチョライの背広をアオキさんで採寸し作られてるとか〜」 『へぇ〜流石、浮所長ハリコミましたな!』 なんて〜 ※鴫野橋 こちら側とあちら側では 砲兵工廠の内と外 |