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藤井寺高校グラウンドの横を〜 ※信貴山方向〜 |
少し横道に〜 ※ |
こちらも街道? ※石臼 |
不退寺さん 脇の地蔵様 ※古代、井戸は信仰の対象となりました。 小川4丁目の不退寺の南から平安時代の井戸跡がたくさん見つかっています。 (松原市HPより) 古くからの地区なんですね。 |
えっ? 石灯篭が此処に?何故?? 大神宮銘 |
と話していたら〜 ※近所の方が〜 此処は馬街道になる前の 古い街道だと伺いました。 その為の常夜灯とか |
次の神社を教えていただいたんですが〜 ※ありゃ〜ミスコース。。 あそこに見えますのが… |
引き返します。 ※テント工場の脇を〜 |
深居神社 ※立石、何やろかと… |
14世紀前期、津堂八幡宮、若林神社、大堀八幡宮、川辺八幡宮 この深居神社は、奈良時代の養老元年(717)の創建と伝え、品陀別命(応神天皇)を祀っています。 棟札から、一間社流造りのこけら葺の本殿は、江戸前期の万治3年(1660)に建てられました。 また、寛政5年(1793)をはじめとする多くの絵馬が拝殿天井に掲げられています。 もともと、同社は小川だけではなく、津堂や市域の若林・大堀・川辺(大阪市平野区)の総産土神でした。 それが、元弘~建武期(1331~35)以降、現在のように小川一村の氏神となったのです。 ですから、深居神社から分かれた若林神社・大堀八幡宮・津堂八幡宮・川辺八幡宮の祭神も品陀別命なのです。 ところで、小川の名は、人々が東除川の水利をコントロールして農耕に生かしていったことからつけられたのでしょう。 小川と一津屋とを結ぶ東除川に架かる一津屋橋のすぐ上流に「小川の戸関」とよぶ堰が設けられていました。 ここで東除川の水量が調節されて三ツ池に貯えられ、小川をはじめ、 下流の若林・大堀の水田に水をうるおすことができたのでした。今も、橋上からこの堰の跡を見ることができます。 小川に、古代から中世を通じて恵我地方の総産土神の深居神社が鎮座したのも、 同地が東除川の水上として重要視されていたからと思われます。 社名が「深居」と称されるのも、「居」は「井」の転化であり、 農耕に欠かせない井戸ー水の神として崇められたからでしょう。 (松原市HPより) ※狛犬も、この地方オーソドックス型 |
お百度石 |
阿 ※吽 この地方、足の呪い無しです。 |
まださん早速〜 ※ |
拝殿社 右側が歯の神様? ※奉納絵馬も〜 |
儚いですね。 ※残して欲しいです! |
手水社 ※ |
拝殿社と本殿社 ※つっかえ棒〜 |
欠伸は〜 歯の神様も居て張るらしいから、 見てもろてますって。。。 ※まださんも気に成ります。 |
変額 見えない。。 |
また、深居神社参道東側に自然石が祀られています。 そこは、屋後池があった所で、池は昭和43年に埋められましたが、 池畔に建つ井戸神との関わりから、 この立石も水神として信仰されていたかもしれません。 (松原市HPより) |