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作年は、あまりポタに行けなかったなぁ〜
大和川左岸沿いの地区
古墳と式内社と地蔵様(03)
藤井寺市惣社町

他の地区と比べて呆れるくらいの数が在ります。
エエ天気のGWポタは、前に伺った所の穴埋め的場所
浮ドンと!カモさんと!!まだまだサンと!!!
久々のフルタイム〜♪

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成25年05月03日 

地図を見れば
もう一社近くに在ります。

※R170

向こうの楠??
手前の工場が気になります。



惣社の村中道〜



ふれあいフェスティバルが有るんですね。

※黒田神社のお隣です。
本日二社目式内社
式内 志貴縣主神社サン

志貴県主神社(しきあがたぬしじんじゃ)は、大阪府藤井寺市にある神社である。式内社、河内国総社で、旧社格は村社。
奈良時代、この一帯は「志貴(磯城)の県」という朝廷の直轄地で、
それを管理していたのは神八井耳命を祖とする志貴県主(しきのあがたぬし)と、
その同族の志貴首(しきのおびと)であった。
神武天皇の長子である神八井耳命を主祭神とし、伊勢大神(天照大神)・
春日大神(天児屋命・比淘蜷_・武甕槌命・経津主命)・住吉三柱神・神功皇后を配祀する。
ただし、『河内名所図会』では祭神を「磯城県主黒速」としている。
創建の由緒は不詳であるが、当社はその氏神として創建されたものとみられ、『河内誌』に「国府属邑一」とあることから、
この地に河内国府が設置されたときに創建されたものと考えられている。
河内国の総社とされ、延喜式神名帳では大社に列している。
中世には、楠木正成が祈願所としてに隆昌を極めたが、楠木氏の衰亡とともに衰退し、
さらに戦国時代にはたびたび兵火にかかり、何度か遷座を余儀なくされた。
明治5年村社に列した。(Wikipediaより)


※手水鉢

河内国府址石標の裏には
盃状穴
少ない地域です
この日、他に見た覚えがない。。
盃状穴分布資料になりますかね。。
高嶋先生如何?えっ?
宗旨違い…先生は力石ですか〜^^;

砂岩製の狛犬


※吽

尻尾は、なにわ型
呪いは無し

参道は真直ぐ南へ〜

※本殿社

多くの氏子さん

※正面〜
気を付け!


神宮寺でしょうか?
了信寺サンとの間に
立派な地蔵堂も在ります。

※長屋門

屋門好きですねん。

※惣社相談役サン宅でした〜

小高い丘状です。

※蔵も〜

藤井寺市教育委員会銘の看板〜

※遺跡が出たんでしょうか?

この柵は?

※この石は??


東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
福ちゃん、ねずみ君はお休み〜
中々、皆の都合が合わない。。。
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