あの小高い丘は城跡
※東に下った所に
生身天満宮が在ります。
(いきみてんまんぐう)
|
道沿いの背高石燈籠
※天満宮扁額
|
奉納牛も
丹波牛ですか?
※えっ?まださん
此処の狛犬も気に入りましたか?
|
接写
阿
※吽
|
銘は無いんですが〜
※彫りが細かくて〜
|
私は、こちらが好きですが〜
※石工
岩田さん
|
摂社 厳島神社
手水鉢
※春祭り前なので清掃中
|
摂社 厳島神社
※絵を書いて
奉納されています。
|
清掃されていた
石段上がって
こりゃ又可愛い
牛のような狛犬
阿
※吽
|
誰が牛やねん!
※あんたや!あんた!
鏡見てみ。。。
|
石工 灰田村住人
佐市郎久■
※尻尾は変形なにわ型
|
蹄のような〜
|
絵馬は黒犬(?)
蹄が有るから
馬(?)牛(?)
※神輿
|
拝殿兼ねた絵馬堂
※ 神輿と獅子舞
上の絵馬は百人一首
|
神楽殿
※手水鉢
|
ガメラ模様の社務所
梅鉢紋
※火口の押え
|
菅原道真の存命中の創建とされ、
これをもって「生身天満宮」を称し「日本最古の天満宮」であるとしている。
園部の地は菅原氏の知行所であり、
小麦山に菅原道真の邸宅があったと伝えられている。
延喜元年(901年)に道真が大宰府に流された時、
園部の代官・武部源蔵は道真の8男・慶能の養育を頼まれた。
そして小麦山にあった邸内に小祠を作り、
密かに道真の像を安置して生祠として奉斎したのが当社の始まりとする。
延喜3年(903年)に大宰府で道真が亡くなると生祠を霊廟に改め、
天暦9年(956年)、改めて神社として祭祀を行った。
現在も続く宮司家は武部源蔵の子孫である。
戦国時代には、当地を治めた丹波守護職・細川家や織田家管領が、
境内に乱暴狼藉や伐採を禁止する禁制高札を立てて兵乱から守った。
その高札は現存し、京都府指定文化財となっている。
承応2年(1653年)、園部藩初代藩主・小出吉親が小麦山に築城する際に
現在地に遷座された
(Wikipediaより)
清掃されていた方にも伺いました。
|
天神川放水路
※水位が上がればプールに成るんですね。
|