
げっ!
カメラの電池が無くなりました。。
此処からは携帯電話の画像で失礼します。。
でも、見れるやん!
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路地風景を堪能しながら〜
※舎利寺さんへ!
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到着しました!
※西国三十三箇所の石碑が立てられています。
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戦後直ぐは
境内を子供たちが遊び場としたり
渡世人の方がゲン担ぎとして削ったとも
石仏群には手足がもげている物が〜
残念ですが〜歴史の証人
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黄檗宗なんですと。
※「魚板」(魚鼓)
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元の本堂の鬼瓦
※本日の本命〜
丹波佐吉さんの役行者像
大切に保管されています。 身の丈、約30cm程…(思ったよりホンマに小さいですよ) 前鬼、後鬼の表情が素晴らしい…
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前鬼・後鬼
とてもリアルに掘られています。
砂岩でしょうね。
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鉄杖の輪も1つずつバラバラに
成っています。
※彩色されていたんでしょうか?
芸術品です!!!
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少し顔つきは違いますが、
負けず劣らず素晴らしい出来です。
※ご説明有難うございます。
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テープに依れば〜
寺伝によると、用明天皇の頃、
この里に住む生野長者と呼ばれる夫婦に
言葉の不自由な子供が生まれた。
その子が十三歳の時、四天王寺を創建するために来られていた
聖徳太子のお耳にこの話が入り、早速その子を呼ばれて
「予が前世にて汝に毘婆尸佛びばしぶつの
舎利三顆しゃりさんかを預けていたが、
今それを返しなさい」と申された。
すると、その子は涙を流して喜び、
太子に三拝九拝して南無仏南無仏と唱えながら口より三顆(か)の
仏舎利を出し太子に返されました。
それよりこの子は普通に話せるようになった。
太子は三つの仏舎利のうち一つを法隆寺に、
一つを四天王寺に、残った一つを御自筆の御影をそえて長者に渡されました。
大変喜んだ長者は御堂を建て、この仏舎利を奉ったのが
舎利寺の起源と言われている。
※不動尊
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弁天池
※裏の建物も境内だったとか。
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石工さん達の腕の見せ所!
※ウットリします。
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顔も無残に…
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MOTTAINAIですね。。
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色んな職人の腕が〜
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ほんまやね〜
※目の正月を
させて頂きました。
オオキニ有難うございます!
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市内で見かけた
3枚目のマダムソース看板
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地蔵様のある風景 |