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児島湾・旭川・高島をポタリ〜
岡山ポタ(10)

ひとり歩きの仕事兼ねた出張ポタ!
inisieに入れようか迷いましたが〜

※マウスポインターを置いてください。 

                                           撮影:平成24年11月13日
                                           UP日:平成26年04月20日

児島湾
此処でもキラキラ光る集魚板付けた仕掛けで
ママカリ釣りされてました。

※児島半島
北東端

漁師ではなくて調査です。
児島湾内部方向

※百間川河口堰方向

大きな虹が〜

※大きなフェリーボートが…
小豆島方面へ

高島

高島宮

航路ブイ

※ボラが多く
船の中まで飛び込んできました。

高島の浜
児島湾は干満の差で
時には凪いで、時には河川上流域のように
激しい流れで〜
此処の浜に立てば、足首までズブリと埋まりました。

※一説に依れば、高島神社は日本書紀では神武天皇が、ここに3年間(古事記には8年間)滞在された所である。
神武天皇は、太歳甲寅の年(西暦前7世紀頃)10月5日、高千穂を立たれ軍舟を率いて東征の途にのぼられた時、
豊後海峡を通り宇佐・筑紫の国・安芸に寄られ翌年3月6日、吉備の国の高島に行館(かりみや)を造って滞在された所とされている。

これを「高島宮」といい、ここでは、一挙に天下を平定しようと舟の準備や、武器の調達や、食糧を蓄えるため過ごされ、
戌午(つちのえうま)の2月11日皇軍はついに東に向かい出航し、そして後に神武天皇は大和にて、即位された。
「吉備高島宮」については、沼隈郡説・神島説・宮浦説・高島山説がある。
(岡山市立高島公民館HPより)


 海上から見れば
昔の(?)石積みの船着場は、
半壊してました。

※まぁ普通の方は参られない神社ですね。

しかし、草刈りや海岸には打ち上げられた
ゴミもなく綺麗に整備されています。

※流石に賽銭箱は在りませんでした。

 神武天皇聖蹟高嶋宮顕彰碑
皇紀2600年銘

※燈台兼ねたような
背の高い石燈籠
見渡せますね。






※吽

清潔な境内
昔は人も住まれていたとか。

※児島半島も此の高島も
児島湾干拓以前なら離れ島だったんでしょうね。
八十島状態。。

船着場も



朝霧立つ湾内
気温差が〜

※ベタ凪状態




高島横目にフェリーボートが入港し〜
地理院地図、航路が間違ってますよ!

※児島湾大橋


四つ手網舎も海上から〜

※集魚灯で集めて一網打尽
シーズンオフですって。


高島脇の岩礁に
地蔵様2体
カモメがお参りしてました。。

※この間の水路通行は
大きなフェリーには無理!

沖の赤灯台

※鼻面崎辺り

色んな船の出入りが〜

※今も昔も大型船は
物資とともに文化も運んできたんですね。
東日本大震災、台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。
私一人旅!
皆様はお休み〜
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