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今は地続きですが〜 向の玉野は江戸期には島だったんですね。 いずれ此処も繋がる??? ※潮止堤防 |
水門の碑 ※仮の橋も〜 渡りたかったなぁ〜〜 |
高島 一説に依れば、高島神社は日本書紀では神武天皇が、ここに3年間(古事記には8年間)滞在された所である。 神武天皇は、太歳甲寅の年(西暦前7世紀頃)10月5日、高千穂を立たれ軍舟を率いて東征の途にのぼられた時、 豊後海峡を通り宇佐・筑紫の国・安芸に寄られ翌年3月6日、吉備の国の高島に行館(かりみや)を造って滞在された所とされている。 これを「高島宮」といい、ここでは、一挙に天下を平定しようと舟の準備や、武器の調達や、食糧を蓄えるため過ごされ、 戌午(つちのえうま)の2月11日皇軍はついに東に向かい出航し、そして後に神武天皇は大和にて、即位された。 「吉備高島宮」については、沼隈郡説・神島説・宮浦説・高島山説がある。 (岡山市立高島公民館HPより) ※此処も工事中なので仮の道路? |
此の子らも既に中学生か〜〜〜 ※ |
児島湾なんです。 静かな海原〜 ※検潮所 |
小さな漁港〜 ※児島湾(南側)と反対側 北側湖、淡水と伺いました〜 |
水門ですね。 ※ |
水路端を〜ブラリと。。 ※見返って〜 |
昔風の水辺風景 ※ |
昭和15年 沖田村 |
国威掲揚台見っけ! ※ |
新旧の水門 ※水路は続くよ〜 |
天板つけたら 橋に戻りそう〜 ※汽水域ですかね? ボラが群れてました。 |
昔、網干人さんに頂いた 写真を思い出しながら〜 ※水辺の風景が好きですねん! |
木製の橋の残骸〜 ※住居の所だけ新しく擁壁が〜 |
平面橋があちこちに〜 ※水門〜 現役?? |
新旧水門此処にも… ※しかも〜石橋プラス |
中々年季の入った家屋〜 ※静かな水面にボラが跳ねて! |
新しい工場の間にも 水路は流れて〜 腰高家屋 水との戦い… |
児島湾内側の漁港〜 ※ |
瀬戸内の干満は〜 ※2時間もしない内に 擁壁の上まで潮が〜 大潮でしたこの日。 |
旭川に貨物船 ※旭川三蟠堤防工事中〜 |
明治天皇の足跡は あちこちに〜 三蟠港の跡碑 |
神武天皇の旧跡を廻られたんでしょうか? ※ |
目の前が釣り場! ※ |
三蟠軽便鉄道が走っていたんですね。 三蟠鉄道(さんばんてつどう)は、 かつて岡山県岡山市中区江並にあった三蟠駅から同市中区門田屋敷にあった 国清寺駅および同市中区桜橋にあった桜橋駅を結んでいた軽便鉄道である。 この鉄道の目的地であった三蟠港は、1692年(元禄5年)に実施された沖新田の干拓事業に伴い建設された。 沖新田が一番から九番までの9つの工区に分けて干拓されたことに由来して、 明治に入って改称されるまでは三番港という名前であった。 岡山市内の京橋港に対する外港として、交通の要衝として長らく繁栄していた。 しかし、1910年(明治43年)の宇野港開港と国鉄宇野線の開業で対四国連絡の玄関口としての機能を事実上失って 地位が低下し始めたことから、 その対策として三蟠鉄道の建設が行われた。 (Wikipediaより) ※三番駅跡 |
この方向に鉄道が走っていたんですね。 廃止時点のもの 路線距離(営業キロ):7.25km 軌間:762mm 駅数:8駅(起終点駅含む) 複線区間:なし(全線単線) 電化区間:なし(全線非電化) 動力:蒸気・内燃(ガソリン) ※線路敷跡近くの祠 何が有ったんでしょうか? |
こんな感じに〜 ※旭川沿いを上流に〜 岡山市内方向 |