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国道2号バイパス橋梁 百間川橋 沖新田、興除新田の開発後、明治後半からは、藤田伝三郎による干拓事業(藤田干拓)が始まり、 明治39年の第1区干拓から昭和38年の第7区干拓の完成により、児島湾の干拓は終了した。 (児島湾の漁場環境―河川の恵みHPより) ※河口方向は清内橋 |
古土手 水路跡ですね。 ※水路も残っています。 川との関わり。 |
石碑?道標?墓標? ※本瓦が綺麗な農家 |
沖田神社裏から〜 ※木の意匠が好きですねん。 |
井路ですね。 昔からの水との関わり ※県社沖田神社 少し派手ですが…茅の輪も〜 |
まださん〜! 大きな狛犬 阿 ※吽 |
手水鉢 ※重軽石 |
目立つ拝殿社兼ねた本殿舎 ※忠魂碑 |
忠霊祠 日清・日露・太平洋戦争に出征されて戦死された 氏子英霊382柱を、お祭りしてるとか。 ※本沖田宮は岡山市撫川、沖田姫実家跡の祠より 移転されたとか。 |
出雲大社摂社 ※皇大神宮遥拝所 石の祠なんですね。 |
長田・西宮神社 ※きれいな拝殿社と本殿社横から… |
胸型神社 ※ |
沖新田開墾300年記念祭芳名碑 ※多くの摂社も |
沖田姫神社 沖新田開墾の折人柱として身を捧げたとか〜 ※眷属社とか |
沖田稲荷神社 ※重軽石 |
願い石 (重軽石) 前には〜 ※沖田稲荷社正面 |
眷属 ※ |
巳さんですかね? ※道通様のお供え卵 |
道通宮 正面 ※裸祭りが有るんですね。 |
お百度石 ※大きな狛犬さんは 文政七年生まれ〜 |
堤の上に戻って ※仕出し屋さん |
新岡山港方向 ※トタン被せ |
新田風景〜 手前の祠が気になります。 ※堤の下の家屋 |
河口が近づいてきました。 ※ |
水辺の風景が〜 ※ |
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海の名残 ※桟橋 |
川漁師さんが居るんでしょうね。 ※ポタ日和でした。 |
背の高い建物が少なくて 広い空〜 ※水辺の風景の中〜 |
家の前には舟が繋がれて〜 ※大きな河口の水門が見えてきました。 |
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エリでしょうか? ※網場? |
生簀でしょうか? ※桟橋跡? |
堤防を挟んでの水辺風景 ※ |
仮橋梁 ※河口水門の外側(児島湾) |
向こうの島は高島 ※水門 自動車が通行できます。 |
水門碑 |
四ツ手網 (よつであみ) 九蟠から升田にかけての防潮堤に設置されています。 一辺が5〜6mの正方形の網の四隅を十文字に組んだ竹の腕木にとめて引き綱で水中に釣り下げ、 夕刻に電灯をつけて、魚を引き寄せて引き上げ、 網の中央の垂れた部分に寄せた魚を長柄の小網ですくい上げる漁法です。 小屋には、流し台や、冷蔵庫、コンロや鍋などが常備されているので、 四ツ手網で採った魚をすぐに調理することができます。 外でバーベキューや中で鍋など家族や友人と自由に楽しむことができます。 小魚、ベカ、アミ、カニ、ママカリ、セイゴなど 年中(春から秋が最適) (岡山旅ネットHPより) ママカリ 「ママ(御飯)をカリ(借り)に行くほどおいしい」ということからママカリと呼ばれるようになったのは有名な話ですが、 脂が乗る旬の時期が秋の稲刈りの時期にあたるため、「ママ(稲)を刈る」ことからママカリとなったとも言われています。 サッパという名前は「味がサッパりしている」、「笹の葉に似ている」などの説があります。 初夏のママカリは骨や皮も軟らかく、また、秋のママカリは脂が乗っていておいしいです。 酢漬けは、ばら寿司の具材として欠かせない食材の一つです。 ※そうか〜静かだなぁと思えば… シーズン外れだったのか… |
何漁の網でしょうか? ※ |
龍王宮 ※漁港の夕日 |