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水分神社併せて 楠公遺物陳列場〜三里十丁(?) 約12km 此処ではないですね。 ※式内 杜本神社サン |
看板〜修復希望! ※向の家屋 |
杜本神社(もりもとじんじゃ)は、大阪府(旧河内国)にある神社である。 式内社(名神大社)であるが、延喜式神名帳に記載される「河内国安宿郡 杜本神社二座」の 論社は羽曳野市と柏原市にそれぞれ1社ずつある。 羽曳野市の杜本神社の方が有力な論社とされる。 どちらも祭神に経津主神が含まれている。 一説には、崇神天皇の時代、経津主命の14世の孫の伊波別命(いわわきのみこと)が、 祖神・経津主神の陵墓のある地に住み、経津主神を祀ったのが起源であるという。 延喜式神名帳に名神大社として記されるほか、 延喜式で当社の祭礼が「杜本祭」として記載され、内蔵寮の幣使が参向していた。 天正年間、織田信長の高屋城攻めの際、兵火によって社殿・社宝を失い、 天正14年、豊臣秀吉に社領を没収され衰微した。 (Wikipediaより) ※昔、教科書で見た 隼人石が在ると〜 |
駒ヶ谷の路地 ※ |
神社を支えた甍の波 ※金剛輪寺阯 明治期の廃仏毀釈で 廃寺になったとか。 一体何寺が廃されたんでしょうか? |
金剛輪寺阯 ※杜本神社参道 |
少し小高い所に〜 ※拝殿社 盛砂も〜 |
猿田彦大神 |
亀ノ石 奈良時代の貴族 藤原永手の墓碑とか ※ |
手水舎に見えますが〜 ※大楠公御首塚 大阪府河内長野市にある高野山真言宗の寺院、檜尾山観心寺の境内にある。 湊川の戦いの後、尊氏の命によって送り届けられた正成の首級が葬られている。 観心寺塔中院は、正成の曾祖父成氏が再建したと伝えられる、楠木家代々の菩提寺。 (Wikipediaより) |
楠公御墳前 前に〜 ※ |
南木神社 楠の文字をバラしたんですね。 大阪府南河内郡千早赤阪村に鎮座する建水分神社の摂社で、正成が祭神。 本社の建水分神社は楠木家の氏神とされる。 延元2年 / 建武4年(1337年)に後醍醐天皇により自ら彫刻の正成像が祀られたのが起源であり、 後に後村上天皇より「南木(なぎ)明神」の神号を受けた。正成を祀る最古の神社。 (Wikipediaより) ※境内風景 |
石工のニヤリが〜 ※隼人石 駒ヶ谷(こまがたに)の杜本神社(もりもとじんじゃ)の本殿前にある1対の石造物。 高さ1mほどの柱状の砂岩の自然石に、顔が獣(けもの)、身体が人の立像を線刻しています。 隼人は古代の朝廷に護衛(ごえい)として仕えた南九州の民の名で、 神を守る意味から付けられた名前と考えられます。 隼人石がいつ、だれによって作られたものか、はっきりしたことはわかりませんが、 奈良市の聖武天皇(しょうむてんのう)の皇太子の「那富山墓(なほやまのはか)」にある 十二支の「子(ね)」を表した石像に似ているといわれます。 (羽曳野市HPより) |
石の切り出し跡 ※椿の落花が絨毯のように〜 |
阿吽のように〜 ※ |
管理されている 御婦人に御挨拶して〜 お疲れ様です。 ※拝殿社 狛犬は新しい岡崎型 |
有名処 ※参道風景 |
※竹林の向に寺院の屋根が〜 |
拝観時には 社務所に申し込んで下さいと… ※ |
昔から人の往来が 多い道だったんですね。 |
木枠の窓 ※ |
魚の骨のような路地も〜 ※西應寺さんと願永寺さんが 軒を並べて〜 |
民家への進入路〜 ※突き当りは国道〜 |
鬼瓦も〜 ※ |
大きな蔵も〜 ※鬼瓦〜 |
エエですね〜 ※ |