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農人橋辺り〜 昔の家屋が東横堀川を背に建っています。 ※実業会館 ググッたら小林多喜二の名が〜 蟹工船の著者ですよね。 関係は?? |
二階建ての家屋が並んでいたんですね。 ※安堂寺橘ビル ネオレトロビルでしょうか? |
中央鍍金工業 大正2年(1913)製とか。 堂々とした工場建物です。 ※ |
正面から〜 ※鉄サッシに ライオン飾り 維持も大変そうですね。 |
エエでしょう〜? ※元住友家本邸内ビリヤード場 明治9年に銅吹所が廃止された後、 住友家の邸宅と成った。 |
住友銅吹所跡 大坂銅吹屋(おおざかどうふきや)は江戸時代に全国の銅山から産出した荒銅(粗銅)を 大坂に集積し、南蛮吹により少量含まれる銀を分離し精銅を製造する機関である。 これは輸出用の御用銅を確保し銅地金の流通を幕府が管理する目的で設立されたものであった。 (Wikipediaより) ※展示されていた 銅吹所の炉 |
和洋折衷建物 銅吹屋の中心となったのが泉屋(いずみや)であり、後の住友財閥発展の基礎となった。 泉屋は、元和9年(1623年)に内淡路町に銅吹所を開設し、寛永13年(1636年)に 長堀茂左衛門町に移転し、最大の銅精錬所となり国内の約3分の一を精錬していた。 このほかにも大坂屋(おおざかや)、平野屋(ひらのや)、大塚屋(おおつかや)などの吹屋があったという。 南蛮人からヒントを教わって粗銅から銀を分離する「南蛮吹き」という 精錬技術を完成させ、その後、大坂の同業者仲間にも伝授した。 銅精錬のほか、銅山経営や銅貿易にも携わり、 方広寺の大仏と「国家安康」の銘で知られる梵鐘用の銅を納入したとされる。 (Wikipediaより) ※内部にはビリヤード台が テーブルのように〜 周りに椅子も… |
こんな遊び場がほしい〜 えっ?わが家よりも大きい…汗 ※ミナミ祭り スタンプラリーが有ったんですね。 南区体育厚生協会 南区は平成元年(1989)に 無くなったんですが… |